カステラ

「ママ抱っこ〜」
ふみは登園道で急に甘えてきた。
「なんで?」
「う…ん、寒いから、抱っこ抱っこ!!」
「じゃ、あの交差点までね」

抱っこされた途端、ふみは満面の笑みを見せる、だんだん声を出して笑う。


「もう交差点だよ」と言ったら、
「いやだいやだ、保育園まで抱っこ、抱っこ!」

Sちゃんのパパが向こうから歩いてきて、ふみを見て、
「抱っこ?甘えてるぅ」とふみの頭を撫でる。


保育園の前に着いたら、ふみは素早く降りてきた。

「え?ずるいよ、ふみ、ほらほら、お部屋まで抱っこするから」

ふみは笑って従わない。


お部屋に入って、
Sちゃんが来て、
「ふみ君のママ、見て見て、ビービーダン」と言って、
Sちゃんは持ってるプラスチックの入れものを見せてくれた。
フイルムのケースね、Sちゃんのカメラマンのパパのものでしょう。
ケースの中は、淡いオレンジ色の小さい球がたくさんあった。

あ〜これね、公園やお庭の隅っこや、石の下によく見かける。

これ、ダンゴ虫の卵でしょう、うん、初めて見かけた時、
すぐダンゴ虫の卵だと、そう認識した。
「これは、ダンゴ虫ね」と言ったら、
なぜか周りの子たちが静かになった。

「ダンゴ虫?ダンゴ虫じゃないよ」とSちゃんは戸惑った顔を見せた。

「あのね、卵だから、これが大きくなったら、ダンゴ虫になるのよ」

「…。ダンゴ虫にならないもん」Sちゃんの声が小さくなった。

「なるなる、そのうちなるのよ」、わたしは自信満々。


「これ、ダンゴじゃない!ダンゴ虫にならない!」と、H君急に大声で言った。

「そうよ、ならない、ダンゴ虫なんかに」と、子供たち騒ぎ出した。


そばにいる先生を見たら、先生は少し複雑な顔で黙っている。


あれ?あれれ?
ダンゴ虫の卵じゃないの?!


先生に密かに聞くと、
なんと、あれは、小学生か中学生がよく遊ぶおもちゃのような鉄砲の弾で、
ダンゴ虫とは、全く関係ないんだと。

ひぁ〜
わたくし、なんの勘違いだろう。

「でもダンゴ虫というのは、面白いかもしれないね」と、先生は笑えを堪えて、気遣ってくれてる。


は、はずかしい。

ふみ君のママはバカだと、子供たちは思うでしょうね〜

ありゃりゃのこりゃりゃ



明日は北京。姉からのメールによれば、北京は今ー9℃〜-1℃ですって。
今年は父親が亡くなってちょうど10周年。
北京の×大学が主催し、父親没10周年の偲ぶ会を開かれ、日本やモンゴル国からも学者たちが出席するそうです。

主催側は、うちもできればどなたか出席してほしいとの連絡があって、姐と相談して、姐もわたしも北京に行くことになった。
母親は体の具合がよくなく、寒い北国に行くのをあきらめるしかなかった。


ふみにとっては初めての北京。
わたしが初めて父親に連れてもらって北京に行ったのは、今のふみぐらいだった。
季節は夏だけど。


できれば万里の長城をふみに見せたいなぁ〜 見せるだけではなく、少し登ることをさせたいなぁ〜
姉は、山だから余計に寒いから、やめたほうがいいと言うけどね。
ふみと二人だけ行ってみようかな〜、なんちゃって。


京大のS先生から、とてもとてもご丁寧なお便りが届いて、都合が悪く、偲ぶ会の出席ができなく、残念がっていらっしゃいました。

S先生は、以前の著書一冊を同封して下さった。
そのあとがきに、
「…それから、およそ一ヶ月。×先生の訃報がとびこんできた。耳を疑った。モンゴル貴族の裔として生まれ、幼い日には、いったんチベット仏教僧とされ、ついで日本式教育の中に身をおき、さらに中国革命後は漢語教育をうけ、北京大学を出たのち(略)栄職への要請を断わりつづけて内蒙古大学での研究・教育に粉骨した。十数ヶ国語を楽々とこなすポリグロトで、歴史学者にして言語学者、そして無上の古典学者であって文明史家でもあった。だが、文字としてのこされたものは、いずれも珠玉のような名篇ばかりとはいえ、やはりあまりにも少ない。×先生との想い出は、尽きない。草原をわたる風のような人だった」


拝読しながら、胸に詰まるものがありました。





知人が、自家製のカステラを送ってきた。

こんなにたくさん!(ティッシュ箱をご参照)

こだわりの蜂蜜、こだわりの玉子、こだわりの竹炭。
この丹精したカステラは、わたしに、北京へ持って欲しいという。
姉も来ると聞いて、姉に、うちの母親に持って行って、どうしても母親に食べてもらいたいと。

スーツケース、空港で脱ぐふみとわたしのダウンコート、それからこの重い重いカステラ。

おほっほっほっほ