花火
大学の構内は、緑がいっぱいで、とってもきれい。
姉のうちのすぐ後ろに池があって、どこかのリゾートの風景そのもの。
朝、目覚めた途端、ふみは「今日、帰るの?」と心配そうに聞く。
今日は帰らないよと聞いたら、「ヤッター」と喜ぶ。
今日も同じく、霧雨が降ったりやんだり。暗くて、空をいくら見ても時間帯がわからない。
羊の丸焼きも出た。
ふみはそれが美味しくて、そればかり食べてた。
父方の従兄弟たちとは、久しぶりなんだ。
甥は17歳の青年になってる。
父とそっくりの、髪ももう真っ白なおじとは、言葉が見つからない。おじもわたしも黙ったまま、涙が滲む。
父が亡くなったすぐ、珍しくおじからお手紙をもらった。
生活の注意点、人間として守らなければならないことなど、丁寧に書いてあった。
おじは、父親を亡くしたわたしの親代わりのつもりだった。
返事はしなかった。
書こうと思ったが、言葉が見つからなかった。
軍医だったおじは、軍隊と一緒に広東省に来て、内戦が終わり、そのまま広東に残った。
現地の人と結婚し、子供が生まれ、子供(姉と同じ年の従姉)を連れて初めて北に戻った時は、わたしは、まだ小学生だった。
広東に行く前には、モンゴル語と少しの北京語しか喋れないおじは、うちに来た時は、もう広東語しか喋ることができなくなっていた。
父が無理矢理にモンゴル語で喋りかけた時のおじの顔は、
困惑して、悲しそうだったの覚えてる。
父と違って、おじは、とても静かな無口な人だ。
食事会は、賑やかだった。
楽しかった。
従兄弟たちと昔のことを思い出して、笑って、喋って、
タイムマシンに乗った感じだった。
ふみは、お正月前後たくさんたくさんお年玉をもらった。
縁起のよい金色の文字や図案の赤いお年玉の紙袋。ふみは、もらってから、わたしに渡してくれた。
食事会が終わって、みんな帰った後、姉と美容院に行くことに。
東京に戻ったら、当分行く時間がないと思って、姉を頼んで、行きつけの美容院に連れて行ってもらう。
道端に靴磨きの女性が二人座ってる。
年齢は、わたしとさほど変わらないようだが、お肌の手入れをしてないのとお化粧を全然してないせいで、もっと歳に見えた。
昨日、動物園をいっぱい歩いた姉とわたしのブーツは埃っぽくて、磨いてもらうことにした。
女性二人は方言で楽しそうに喋りながら靴を磨いてる。
広州は全国の方言が聞こえるところなんだ。
どこの方言ですかと姉が聞くと、
湖南省よと女性の一人が答えた。
一言も聞き取れないわと姉が言うと、
二人はとても楽しそうにわらった。
靴、ピカピカに磨いてもらった。
生まれて初めて人に靴を磨いてもらった。
美容院で姉と日本語で喋っていて、
どこの人?と聞かれ、
内モンゴルよと答え、
「じゃ今のは故郷の言葉?やわらかくてきれいな言葉ね」と男の美容師は微笑んで言った。
夜、爆竹と花火をやった。
姉のうちの裏の池のほとりで、爆竹のすごい音と火薬の煙ときれいな花火を、ふみは、はとこたちと、怖い怖いと言いながら、歓声をあげる。
また姉のところに戻ってお喋り。
ふみは、はとこと、はしゃぐ。
楽しい時間はすぐ過ぎてしまう。
もう従兄弟とその子供とお別れ。
暗い夜道の向こうに、従兄弟たちが立ち止まって、こっちにバイバイしてる、
急に、つらくなったわたし。
楽しい時間は、いつも短い、いつもすぐ終わってしまうね。
北からさらに寒気が来るそうで、雨と寒さはさらに続く。
太陽は終始わたしたちに顔を見せてくれなかったね。
明日、帰ります。
母親と姉と身内の人たちと別れます。
もう歳なのかな、わたしは、感傷的になりやすくなってしまって。
でも、やっぱり、言葉じゃいい尽くせない気持ち、
さびしい。