五月晴れ

「泥中の蓮……この泥も現実だ。そして蓮もやはり現実なんです。そして泥は汚いけれど蓮は美しい。
だけどこの蓮もやはり根は泥中に在る……。
私はこの場合、泥土と蓮の根を描いて蓮を表わす方法もあると思います。
しかし逆にいって、蓮を描いて泥土と根をしらせる方法もあると思うんです。

戦後の世相は、そりゃ不浄だ、ゴタゴタしている、汚い。こんなものは私は嫌いです。

だけどそれも現実だ。それと共につつましく、美しい、そして清らかに咲いている生命もあるんです。
これだって現実だ。」

1949年、小津が《晩春》を公開後、インタビューを受けた時の言葉です。



小津の一種の“強さ”と余裕を感じさせます。





先日の水曜日は、あの大震災から二ヶ月経った日。駅あたりの教会の鐘は、午後2:46から、鳴り始めて、しばらく響きました。


その前の四十九日には、お寺の鐘が、長く続いていました。


どんなことがあっても、時間は移り行く。



東京は、節電のために、ATMほとんど使えない。

エスカレーターも動いてないのが多い、
コンビニやお店は薄暗く、この夏はさらに15%節電することに。


東海大地震は30年以内の発生率が87%。


原発からは依然としてよいニュース一つもなく。


…。

なんだか、3月から、世の中、急にいろいろと変わりました。


わたしの心境も、いろいろと変化が。



やっぱり、きれいな面だけ見よう、明るく美しい面だけ考えよう。

でもわたしは、
強さや余裕からではなく、そうでもないことを見る考えるエネルギーがないから。
昔からですけど。