大吉

朝御飯の時、大きく開いてる窓から、
からーん、からーん、からーん
との鐘の快い音が聞こえてきます。


うん、今日、ニコライ堂へ行こうかな。
御茶ノ水の。


雨上がり、少し蒸して来て、けど、過ごしやすいお天気なんだ。


「ふみ、今もう宿題やったら、夜は、まる子ちゃん見れるでしょう」

「はい」ふみは少しも躊躇なく。
なぜならふみは、この前の塾で、勝手に先生に、算数の宿題を「10枚じゃなくて、5枚にしてください」と言って、算数5枚、国語5枚、毎日上機嫌にやってます。


「ふみ、みんな宿題の枚数をどんどん増やしてるんじゃないの?なのにふみは増やしたり減らしたりして、いいの?」

「いいのいいの、だってずっと同じ数字ばかり書いてつまらないもん。早く足し算、習いたいから。先生に聞いたんだよ、足し算は難しい?全然難しくないよって先生言ってた」


数字書くのつまらないだなんて、よく言うわ、くねくねだったり、枠からはみ出したり、まだまだだよ。




駅に近くなって、あるご婦人が見えました。

杖をトントンと、あっちこち探るようにゆっくりと移動して、目の不自由の方だとわかります。


あまり慣れてない場所でしょうか、見る見る階段ギリギリのところまで行き、

これはたいへん!
「あぶない」とわたしは走り出す。「なに?なに?」とふみもついてくる。


「あの、どちらへでしょうか、階段を降りますか?」わたしは急いで婦人の腕を掴む。


「あっ、階段?階段には降りません。教会に行きたいです。教会はご存知ですか?橋はどこですか?橋からは道わかります」

教会ですか。ではご一緒にしましょう。


「教会は知ってるよ」とふみは婦人の手を握る。


「あっ」婦人はびっくりして、ふみの手を離す。

そうか、ふみの存在、お見えにならないですものね、それは驚くでしょうね。


「ママ」ふみはわたしを見て、戸惑い顔をする。


「あ、ごめんなさいね、お子さんだったんですか?いい子ですね、あなたたちも教会に行きますか?違うなら橋までで大丈夫ですよ」

「教会は知ってますよ」ふみの表情は緩んだ。


「こうしていいですか?わたしはこのほうがいいんです」婦人はわたしの手を外して、逆にわたしの腕を組むことにした。


道を曲がったら、橋になる。

けど、橋の上に二ヶ所、カラーコーンに囲まれて工事をしてた。


これは目の不自由な方にきびしい。

ふみは婦人の前を歩き、時々振り向いて婦人を見る。
「ここが橋だよ、でも下は川は流れてないよ、電車が走ってるの 」とふみは婦人に話をかける。


「そう〜、今日、雨もなくてよかったね。日も差してるでしょう」


「でも男はささないよ。それを、女の子はさすけど」とふみが。


日がさすのを、日傘をさすと勘違いしたみたいね。


今日は日差しないからかな。

横断歩道を渡って、道を曲がると、もう教会の横側。
「お花がきれいに咲いていますよ」とわたしが言ったら、

「そうですってね。神父さんはイタリアの方で、お花が大好きで、いつも手入れしてるんですってね」婦人の顔に笑みが浮かぶ。

「蜂」わたし、ふみに言う。
「あ、鉢植えのもありますか」と婦人が。
「昆虫の蜂です」

はははは

はははは


教会に着いて「ふみ、ドアを開けて」

ふみは両手で重い扉を一生懸命開けてくれた。
途端に、オルガン伴奏で讃美歌の合唱が扉から、ぱーっと出てくる。
同時に婦人は一緒に歌い出す。


中は人がいっぱいで、椅子に座れない人々は通路に立つ。


係の方がすぐ婦人の腕を掴み、体の不自由の方の席へ案内して行った。


美しい讃美歌の中、ふみと教会をあとにした。


ふみに、これから目の不自由の方に気づいたら、まん前を歩くと、杖のジャマになるから、前を歩かないようにと教えた。



電車に乗って、御茶ノ水に着いて、駅からちょっと歩いたら、もうニコライ堂が見えた。


境内になんと、たくさんの百合が!


ロシア系らしき方がたくさんいて、黒人の方も。
開いてる扉から、やはり讃美歌が聞こえてる。


一人のロシアの女性がわたしたちに「どうぞ、中へどうぞ」と声をかけてくださり、中に入った。


ニコライ堂は明治時代、7年の歳月をかけて建てられ、
大正12年関東大震災で崩壊、
その後6年かけて復興させた。国の重要文化財にも指定された。


さすが日本有数のビザンチン様式建築で、外観だけではなく、中も今まで見たことのない雰囲気だった。



薄暗い中、何ヵ所か蝋燭を点ける場所があった

幽かに揺れる蝋燭の神秘的な光、髪をスカーフかショールで纏う異邦人の女性、黒い眼鏡をかけ、二列ボタンのスーツに、スティックを持つ異邦人の男性、


扉の向こうの姿の見えない主教のお祈りの声、


恍惚とするわたし。


ふみと黄色い蝋燭を二本買って、捧げた。


皆さん膝まづいてお祈りする。

わたしたちも真似する。


ふみは額まで絨毯につける。

「ふみ、おでこ着けなくていいよ、頭を下げるだけでいいよ」わたしは密かに言う。
周りの方はそうしてるから。
柱の向こうの、ここの信者さんたちが、どういうやり方か見えてないけど。


「いいの!だって願いことが多すぎるんだもん」そうふみが、やはり密かに言って、また額を絨毯につけた。
「ふみ、変な願いをしなくていいのよ、健康や、おりこうになるだけでいいからね」わたしは、さらに密かに。


ふみからの返事がなく、肩が微かに動く。


係の上品な日本人のご婦人にお礼を言って、わたしたちは出てきた。


「また来てくださいね」とのご婦人の微笑みとお言葉に、
ふみは「バイバイ」との一言。

かるっ。



「ふみ、なにをお祈りしたの?」
「え?そりゃたくさんだよ」
「一個ぐらい教えてよ」
「う…ん、誕生日、早く来るように」

はあ?もっと深刻なことかと思ったよ。祈らなくたって誕生日は来るのに。




駅のトイレから出る時、一組の親子とすれ違う。


ふみと同じぐらいの女の子のお母さん、ふみを見ると、なぜか目を丸くする。


男の子なのに女子トイレ?とでも思ってらしたのかなと思ったけど、でも、ふみぐらいの子が一人男子トイレのほうが珍しい。


なんでそのお母さん、あんなにびっくりするのでしょう。

と考えてトイレを出ていたら、

「すみません、すみません」と後ろから声が聞こえ、
振り向いたら、さっきの親子だった。

「あの、すみません、マルモの、マルモに出てるトモキ君ですよね」。

「あっ、違います」

「え?」

「はい、違います、すみません」

やははは、ふみ、最近流行ってるあのマルモのドラマの子役と間違えられたね。

その子役がもう少し小さい時、ある壁紙のCMに出てて、
ある方に、ふみ君に似てるよと言われたことがあった。


へぇ〜そんなに似てるかな、赤の他人から間違えられるなんて。

母親のわたしから見て、眉毛だけちょっと似てる…という程度かな。
ごめんなさい、せっかくとっても嬉しそうな顔をしたのに、その親子。


スーパーで、カードをスキャンしてポイントをあてる機械があって、
中吉が3ポイント、小吉が1ポイントみたいな。
あとは、情けないメロディと一緒に出る“残念”の画面が多い。


ふみは、いつもそれをやりたくてしょうがない。


今日、なんと、ふみが選んだくじが、大吉でした!

300円のお魚コーナーの無料券で、ふみは大好きなイクラを選んだ。

北海道産、安全です。


この頃、なんでもまず産地確認ということは、もう身につけてます。


夕食、ふみは大吉のイクラを美味しそうに食べました。