遊ぶばかりがいい



夏の終わり頃、何回かまた暑さが逆戻りして、やっとひんやりとした北風が定着して、もう、夏が本当に終わりだなぁ〜、息を吸うと、冷たい空気が一気に肺まで入り込んで、なんだか寂しい。


そんな光景にぴったりの、この2、3日であった。


エアコン付けずにうちにいると、連日の大騒ぎの猛暑、あれは夢だったのでしょうか。


セミの鳴き声、稀にしか聞こえてこない。まわりにそれを気付いた人が増えてる。
妙というか、不気味だ。

夕方、パパと神社へヤモリやセミを探しに出かけて行ったふみは、今日は、木を登っていくセミの幼虫一匹を発見したらしく、少し満足。


水鉄砲を持って出て行ったふみは、ヤモリに的中させるつもりのようだ。

ヤモリ、(あの子また来たよ)とのことで、みんなするすると高いところへ移動したみたい。



「ママ、セミどうしたの?」
「うん、出てこないね。何かをわかったんじゃない?今、出てもいいことないとか」
セミ、土の中にまだいるの?あ〜、わかった、ソファーで座って、アイスを食べて、テレビを見てるんでしょう」

ハッハッハ、ふみの夢でしょうそれは。しかもそのテレビに映ってるのは、何とかセージャーやライダーが一番いいでしょう。



知人に、ふみは小学校は私立に行ったほうがいいんじゃない?と言われて。

公立っていうのは、みんな事故なく、仲良く、そして何より足並みを揃えるのが大事。

個性的な子、勉強しようとする子、特に人より一倍勉強しようと思う子の、許される場所じゃない、意欲無くすところなんだ。


公立と私立、無料か学費が高いかとしか区別の認識がないわたしにとって、全く初耳の情報。


たまたまその後、ある公立の中学校の先生とお話しをして、
その先生、自分学校の生徒を猛批判。
「なんの頭も使わない、というか使うことができない、そんな頭持ってない。考え力、判断力、全くゼロ。そんな子たちが大きくなったら、日本はどうなるんだろう…」その先生はたいへん憤慨していらした。


「もう私立に期待するしかない、日本の将来は、公立の子に任せられない…。博愛とか、人類平和とか、あんな教育は人間をダメにする、バカになるしかない。やっぱり私立の英才教育が必要だ!…」

私立。また私立かー。


「私立って、高いんでしょう?」わたしの、まるで先生の日本将来への憂慮を理解してないような質問に、その先生はべつにあきれた顔ではなく、
「私立たくさんあるから、そんな名門じゃないのなら、それほどでもないよ」


知人は、「ふみ君、個性的で、勉強が好きで、公立に一番合わないタイプじゃないかな。そういうの、子供結構ひどい目にあったりするけどね」


さぁー、どうしたらいいんでしょう。


悩むなぁー。
保育園にいる時の悩みは、病気かケガか、お友達と遊んでるかどうか、ご飯こぼしてるか、おもらししたのか、トイレにちゃんといけたのか、靴小さくなったのか…。些細なリアルなことばかり。


小学校が目の前になると、抽象的な悩みが増えて来る。

親のちょっとした判断で、子供の人生を、ひょっとして変えるんじゃないかというぐらいの影響があるのでは。


ふみ、どうしたらいい?
「遊ぶばかりのところがいい!」
それは保育園じゃない。学校は、勉強が第一、第二が遊ぶことだからね。


まあ、ふみは自分の運命を持って生まれた。運命だったら、誰がどうやったら、簡単に変えられるものじゃない。それがサダメというもんだと、わたしは信じてる。


成りゆきに任せて、なるようになる。


ただし、今よりもっともっとふみのことに注意を払うことしないと、ふみの言葉はもちろん、ふみの出したサインもキャッチできる母親に、なりたい。



ひょうたん、あれから大きくなってなくて、やっぱり観賞用のでしょうね。


触るととても硬く、色も緑より、少しずつ赤くなってきて。


もう一個小さいのが出て来て。


明日は「大暑」。予報によると明日も涼しいのだそうだ。