わだばゴッホになる
早朝だからって、涼風なんぞ少しもなく、あ〜、今日も猛烈な残暑だわ〜
朝顔、咲いてはいるが、この暑さの中、しょぼんっとなって。
急いで水をやったが、それでもなかなか元気を出せないようす。
猛暑、来週いっぱいまで続くらしい。
でも嬉しいことに、明治座のチケットを頂いて、11時からのお芝居を観に行くわたし。
コロッケが座長で、第一部は棟方志功物語、第二部はものまねショー。
コロッケが演じた棟方志功は、素直で、愛嬌があって。
上京した棟方は、まだ版画をやる前で、油絵がたびたび選考に落ちて、それを話題にする絵描きたちに、棟方は、
「好きで落ちたんじゃない」と障子を閉め、また小さく開け「大嫌い」と言ってまた障子を閉める。
なんてかわいい人なんでしょう。
「わだばゴッホになる」、世界の棟方、いきいきとして、血の通った人間で、魅力的。
第二部のものまねは、笑いと拍手が絶えない時間だった。
またコロッケが被災地に行った時のエビソードやご感想を話して、震災からちょうど五ヵ月に経った今日、胸に、じーんと来て、目頭が熱くなった時もあった。
結局終わったのが午後の4時だった。
コロッケさん、とてもいい人だと感じた。
歌がうまい、トークがうまい、ものまね、ダンス、演技力もあって、本当に多才な方。
一緒に行った知人も、
「今日は、ホントにタップリ楽しみましたね。二部構成だから、お芝居は、そんなに長くはないだろうと思っていたら、お芝居は、お芝居でシッカリやったし、その後のステージも盛り沢山だったし。とても、お得感が有りました。」と。
たまに(時々なら、なおいい)こう言った非日常な空間にいること、とても大事だと、つくづく思う。
今日の保育園の連絡帳に、先生はこんな内容を書いてました。
「勝ち負け」にとてもこだわるふみ君。プールで、一生懸命目標の姿をすることが大事なのに、早く泳いだらOKだと勘違いしています。今日はきちんとそのことを伝えました。「うん」と聞いていました。
そっかー。ふみ、またお説教を受けたのですか。
勝負ね〜、わたしは(おそらく主人も)、勝負を好む人間ではない。
が、わたしはふみの常に勝負したい精神を否定したくありません。
人はそれぞれ自分の考えや、自分の人生があるとのことを、お互い尊重したほうがいいというか、せめて、「自分はそうじゃないけど、そういう人もいるんだね」ぐらい、認めて、受け入れる世の中であってほしい。
みんな仲良く、足並み揃いましょう、との主旨の環境の中、ふみの性格、大丈夫かしらね。
わたしは小さい時から、争い、勝負、が大嫌い。
だから運動会が嫌い(運動神経がイマイチのもあるけど)。
幼稚園の時の運動会、どんな競技も辞退してました。
が、たったの一回、ある競走に、わたしは自ら申し込んだのです。
その理由は、ただの競走ではなく、かわいいアルミ製のバケツを手にして、白い線の上に置いてある麦の穂を拾いながら走る設定になっているからです。
わたしは、完全にそのバケツと麦の穂に魅了されたのです。
大學の附属幼稚園だったため、大學の運動場を借りて行なわれるその運動会は、たくさんの先生や生徒さんたちが見物しに来て、わたしは段々現実に目覚めました。
いよいよ本番が始まろうとする時、わたしの恐怖心がとうとう全てに勝ち、「先生、走るのやめます」と言い出しました。
笑顔で説得しても無駄だとわかった先生は、あせってきて、やがて怒りだしたのです。
「お母さんを呼んで来て下さい」
母親の手を繋いで、わたしは泣きたい気持ちでいっぱいだが、涙が出ないほど、頭がからっぽになってきました。
「本当に走りたくない?」
「うん」
「ですって」と、母は先生に微笑む。
あきれた先生はわたしたちを置いて、去りました。
この出来事、大きくなってから母に話しても、「そうだったっけ」としか、母は覚えていないようです。
けど、わたしは、なぜか忘れることができなてく、その運動場の風に巻きあげられた砂埃も一緒に、脳裏に刻まれていました。
寝る前、ふみに、「今日、N先生に言われたの?」と聞く、
「ううん、なにも」
「知ってるよ。ほら、ママ、今日も目を保育園に置いたんだから」
ふみに、時々保育園の天井に、ママの目玉一個、置いてるよと言ってある。
少し不気味だが、ふみもう慣れてる。でも、ちょっと半信半疑のようだ。
「今日お芝居、観に行ったでしょう、目がないとどうしてたの?」
「第三の目よ第三の目、なんか、ふみがプールで、一番になりたいってばかりで、先生に怒られたように見えたけど」
「うん」
「どう思った?」
「普通」
「普通って、わからないよ」そもそもふみは、先生の言ってたことを、理解できたのかしら。
「普通は普通よ。競争はダメだと」
あ、ちゃんとわかってたんだ。
「で、ふみはどう思った?」
「競争しちゃダメだと思った」
「そう?どうして?」
「先生がそう言うから」
「そうか。そうね。でも先生も、ママも、言ってることは必ず正しいとも限らないよ。勝負したいというのは、素晴らしいことよ。ママが言ってるのは、勝つことだけじゃなくて、負けることもある。負ける時の悔しさは、人間を大きく大きくするのよ」
「…」
「う…ん、こうしよう。競争して、けど、口に出さない、黙って、心の中でわかればいい。言葉にだしたら、先生に怒られるし、お友達にも嫌われるかも」
「じゃ、どうやって」
「たとえば、口に言わないけど、H君を抜きたいと思って」H君はふみよりずっと前どこかのスイミングスクールに通ってる。
「H君?とうに抜いてるよ、ぼくは」
そうか。
「ふみ、来年小学校に入ったら、もし今日みたいなことで先生に言われたり、お友達に何かをされたり、とにかくママに言ってほしい。一人で耐えたり、悩んだりしないこと。約束できる?解決法いっぱいあるんだから。転校するとか、自分に合う先生を探すとか、とにかく解決法はたくさんあって、そこで行き詰るのは、人生もったいなさすぎだから」
「うん」。
どうかな、ふみは完全に理解したかどうか。
ふみ、ふみらしさによって、苦しいことがあった時、負けないで、負けないで。
ふみが賢く処理できること、祈るよ、ママは。
祈りながら、ずっとふみのこと、見守るから。
今日の連絡帳の先生の話しに、コメントするつもりはない。当たり障りのないことを、適当に書きますから。