修行
観音堂の睡蓮です。
残暑の中、まだ頑張ってますね。
夜中まで、本を読んでました。
昨日、書店を覗いたら、向田邦子のコーナーが設けられていて、まだ読んでない作品を二冊買いました。
今年、向田邦子没後30年になりますね。
朝、パパの仕事先に行くと、生き生きとした顔で、ふみはわたしを迎えました。
パパに聞けば、ふみ、お手伝いをいっぱいしてくれて、たいへん助かったと言うじゃありませんか。
パパが見せてくれた写真。
「えらいなふみは」。週明けの重い荷物を持って、じりじりする陽ざしの中の登園道で、わたしはふみに言う。
「電話はなかったけど、暗くなってから訊ねてきた人はいたよ。ちょっとびっくりした。あと夜中目覚めて、トイレ行って、それから眠れなかった」
「なんで?」
「広いし」
「で、なにをしてたの?」
「パパとお喋りしてさ」
「どんな話ししてたの?」
「くうかい」
「うん。やっぱり、お坊さんがいいな僕は」
おいおい、原発を征服する“神様”になるんじゃなかったの?頼むよ、ママは本気に期待してるんだから。
後でパパに聞いたら、寝る前に、ちょうど手元に空海の絵本があって、ふみに読んであげてたと。
夕方、また猛烈の暑さの中でふみくんをお迎えに。この暑さ、本当に続きますね〜
体力が奪われる。今日は特にそう感じて。
今日は、担任の先生がお盆休みで、別の先生がふみたちをみていました。
その先生がわたしに、「ふみくん、パパと外泊したんですってね〜、その話をいっぱいしてくれて、面白かったですよ。今日も泊るんですね。楽しみですね」と。
出てきたら、ふみは、ママからのご褒美のクッキーをかじりながら「今日、ぼく最後まで怒られなかったよ」と。
(+o+) いつも怒られてるんだ。
「ふみ、先生に怒られても、へこんだりしないでね」
「うん。わかってる」とふみが。
今日の先生はわたしに、「みんな外で水遊びしたんですけど、ふみくんだけ、したくないと、一人でブロックで遊んでましたよ。暑いから、お部屋でまったりしたいでしょうね。」と。
前もこういうことがあって、ほとんど先生に怒られてました。「みんなと同じことをするように」と。
わがふみくんは、したくないことはしたくないと、妥協なく、プールじゃなくて、ただの水遊びなら、しないと、ずっと水遊びを拒否しております。
しかし“まったり”という言葉は、味わいにだけ使う言葉ではなかったんですかね。
この前、芸能人のどなたかがテレビで「どっちかというと、部屋でまったりして、のんびりしたいですね」と話してました。
もしかして、今は、“まったり”を違う意味に使うのが流行り?
日本語、乱れているじゃないかしらね。言葉の進展ではなく。乱れが。
最近、「お疲れ様です」という言葉は、すべての挨拶の代りになりつつあることを気付いて。
どんな場面でも、とにかく「おつかれさま」と言うのです。
まあ、たしかにみんなどこか疲れているに違いないでしょうけど。