花巻温泉
お祖父ちゃんお祖母ちゃんのうちを後にして、花巻温泉によって帰ることに。
花巻温泉は初めてです。
きれいで、泉質も優しい宿です。
温泉は久しぶりだわ、震災以来初めて。
前は、ちょくちょく温泉に行ってましたけどね。
雨足が強かったり、またパラパラになったり。
白い霧の紗がかかってる穏やかな山と清流を眺めていて、木々の葉っぱを伝う雨の雫を見ていて、
大自然って、いろんな顔があるんだなって、人間と自然、お互い加害したり、被害を受けたり、
これからはどこまで、どうなるんでしょう、なんだか、ため息をもらしてしまうわたしです。
「はい、ママへのプレゼント」、パパと露天風呂に入ってきたふみは、このカタバミをわたしの目の前に差し伸べる。
ふみが摘んできたとパパが。
ハート型の小さな葉っぱ、夜になると閉じるはずだが、もう閉じてる。
濡れたティッシュで根っこをくるんで、ビニール袋に入れて、東京に持って帰るわ。
道端の草だが、東北の大地の草だと思うと。
ベランダの植物たち、大丈夫かしら。大丈夫でしょう、週末、東京も雨模様ですから。
鈴虫を預かってくれている方からメールがありまして、鈴虫が脱皮したと。
鈴虫も脱皮するんですね、初めて知りました。
草も虫も、生きていることは、素晴らしい。
東北の緑は、まるで新緑のように、まだ色鮮やかです。いろんなお花が緑の間に咲き乱れて。
木槿は、白、ピンク、紫の大きなお花を咲かせ、
アジサイもまだ見かけます。
柿も青くなって。
新花巻駅の構内のこの絵手紙を見て、必死に涙を堪えた。
詩人であり、彫刻家・画家でもある、高村光太郎の詩
岩手の人
岩手の人眼静かに、
鼻梁秀で、
おとがひ堅固に張りて、
口方形なり。
余もともと彫刻の技芸に游ぶ。
たまたま岩手の地に来り住して、
天の余に与ふるもの
斯の如き重厚の造型なるを喜ぶ。
岩手の人沈深牛の如し。
両角の間に天球をいただいて立つ
かの古代エジプトの石牛に似たり。
地を往きて走らず、
企てて草卒ならず、
つひにその成すべきを成す。
斧をふるつて巨木を削り、
この山間にありて作らんかな、
ニツポンの背骨岩手の地に
未見の運命を担ふ牛の如き魂の造型を。