よいお年を
大みそかの朝、いつも通り、朝ごはんを頂き、パパは出勤、わたしは洗濯物を干し、ふみに「宿題やってね」と言う。
今日は大みそかだと、ふみは知ってる、けど、変わらない我が家の風景に、いつもと同じく宿題を取り出して黙々とやる。
注文したおせちが届く。
ふみに、明日はおせち料理を食べるから、今日は、年越しそばと、お昼はお茶漬けしよう、あっさりと。と言ったら、ふみはすぐ応じた。
宿題を終わらせて、ふみは決まりゼリフのように「ママ、お昼はなに?」
「え?お茶漬けにするって言ったじゃない」
「お茶漬け?え〜〜〜、ふりかけご飯は?」
「いいけど」
「う…ん、タマゴかけご飯は?」
「いいよ」
「え〜〜っと、いや、やっぱりお茶漬けにしようかな、海苔たっぷり、やでも、チャーハン、チャーハンにして、いい?」
玉ねぎ・かぼちゃ・人参・しめじを細かく刻んで、チャーハンを作った。
“パシャ〜ン”
わお、また何が?
「ママ、どうしてかな、なんかね、パパのね、これが落ちた」
落ちたじゃなくて、ふみが落とした、でしょうに。
「どれ?」
あちゃー、パパがある方からおみやげで頂いた、外国の焼き物の笛のような楽器だわん。
「ふみ、とにかくその辺うろちょろしないで、ケガしたら二度被害だわ」
「ごめんなさい」
「まあね〜砕砕平安、砕砕平安」
中国語で“砕”は“歳”と同じ発音、物を割ったら、厄払いのように、すぐ「砕砕平安」と口をする母親。
その影響かしら、日ごろ「その言葉をやめて、縁起でもない」と、縁起縁起って、口癖のようにふみに言う。
出来れば毎日「鶴亀」とか、「紅白のお饅頭」とか、縁起のよい言葉を耳にするのが願い。
なんか歳だね。
「ママ、見てぇ」
破片を片付ける手を止めて振り向いたら、
みかんのネットを、鼻と口を覆うふみがいた。
これまた何の真似?
「ママ、ぼく、原発を冷やして来るから、行ってきます」
「あら、それはそれは、行ってらっしゃい」とふみに敬礼をする。
「ママ、ママ」
また?「はいはい」
「あのチョコレート食べていい?」ふみは棚の上に置いてるチョコの箱を指さす。
暮れに頂いたこの美味しいチョコ、ふみが一遍に多く食べるの防ぐため、高いところに置いた。
それが、ふみの気掛りになって。
「いいでしょう?ご飯のあとデザート食べてないんだから」
「いいけど、一個だけね」
「は〜い」ふみは素早く椅子を引っ張って、その上に立って、箱を下す。
ずいぶんと慣れた手付きですこと。あやしいわ。
「ママはこれでいい?」神戸の町風景を描いてる包装紙、ふみはバスのを選んでくれた。
「ママ、この銀の紙頂戴、バンバンを作るから」
しばらくすると、ふみは、やや大げさな困った顔をしてまたやって来て、
「ママ、銀紙が足りない、これじゃバンバン作れないよ」
「じゃ、普通の紙を使えば?」
「ダメだよ、普通の紙は。あ、でも、銀紙じゃなくても、金紙もいいよ、あのミルクチョコは金紙よ」
(^o^)/
今日は、昨日ほどの北風がなく、陽ざしのある場所は、いくらか暖かい。
ふみと東宮御所を回ってお散歩。
「走ろう、競争しよう」とのふみの何回も何回もの誘いにしぶしぶ応じ、
けど、競争はしない、ゆっくり走るなら、との約束で、ブーツを履いたまま、わたしは走り出した。
「いい?次の光までよ、それまでだけだよ」
ビルの隙間から注がれる陽ざしが、少し前に見えた。
走り出すと、その光が遠いこと遠いこと。
本当にもうダメかと思ったところ、やっと着いて、咳込む。
「ママ遅いよ、ずるい」
ずるさと思ってくれてありがたい、しんどさが見えなかったのかしら。
つまらなくなったふみ、何回も一人でダッシュ。
しゃがんで写真を撮っていると、ふみは走り戻って一緒にみる。ほーー、自由だね、走るの少しも苦になってないわ。
警備の警官たちに大きい声でご挨拶をしながら、豊川稲荷に辿り着いた。
お参りして、お線香を上げて、境内をあとにした。明日、パパがお仕事終わったあと、夜になるでしょうけど、一家はここに初詣に来るんだ。
「のぼらないよ、ふみ」
「なんで?」
「書いてるもん」
「どこに?」
「ここよ」
「本当だ。あ〜つまらない」
「のぼらないふみ」
「なんで?」
「なんでって、常識よ。ここは迎賓館よ」
「べーっだ」
どうしてもこの、一本一本ぐるぐる回ってる棒たちを逆らって登って行くという。
こっそりと回ってる棒を手で止めると、ふみに怒られる。「自分で!自分で登るの!」
ふみは、自分で逆らって登り切った。
「ママもやろう」
ふみと並んでブランコ。
あ〜、冬の東京、澄んだ空。今年、もう終わりなんだね。
ブランコ、いつまでも揺れてた。
夜は三人で年越しそばを頂き、ふみはパパとお風呂に入り、英語をやって、お布団に入り。パパは仕事に戻った。
おやすみふみ、来年もふみらしく、元気で、楽しく過ごそうね。
よいお年を。