立春

今日は立春。最低気温はマイナスだが、昼間は暖かい、気温はぎりぎり二桁になったから。


節分が過ぎて、今日、さっそくわが家の麒麟さまを西南方の角に移動した。


この銅製の麒麟、その年の悪い方位に立って、邪気を払ってくれてるんだ。


ちなみに去年の悪い方位は真東。
今年は西南と東北。


十代の時、易経の勉強に真面目に励んだ時期があって、
中国古代の、天地自然からメッセージを読みとるやり方がとっても興味深かった。


それが今の時代になると、安っぽい占いにしか認識されてないのは、実に残念なことに思う。


外部の世界にばかり目が行き、静かに周りのメッセージを読むことを、しなくなったというか。



朝食のとき、焼いたベーコンを小さく切ったわたしに、
ふみは涙ながら「ぼ、ぼ、ぼくがナイフとフォークで、き、切りたかったのぉ、なんでママがやったの?いやだ、ぼ、ぼがやりたかったのぉ〜エンエンエン」


だって、ふみにナイフとフォークを持たせると、いつも派手な音が…。


とにかくナイフとフォークを使いたがるふみである。


昨日、ふみが保育園での豆撒きの時に作ったお面。ちょっと可愛らしさがない鬼だね。



宿題を終わらせて、ふみとスーパーにお買い物。

この頃のふみ、カゴから袋に、買ったものを入れ替えるのを必ずやりたがる、それから重いの選んで持ってくれる。


長い坂を登ると、「重いな、肩凝ってきた」とか文句言う。


持つよ、と言っても、この軽いのと交換しようか、と言っても、「僕が持つ」と言うし。




今日から、スイミングは11級。
大きい子ばかりのコース、ふみ一人“新入生”。

知らないはずの面々に、ふみは普通に右左の子に何か声をかけて、笑ってる。



レッスン開始。
11級、厳しいわ。

始まった途端、いきなり25メートルばた足で一往復、次は呼吸しながら一往復、休まずまたボビングジャンプ(水中でブクブク息を吐いて水面にジャンプして息を吸う)を一往復。
すごっ(@_@)


ふみは少ししんどそうに見えるが、でも、ちゃんとみんなに付いている。


その後パパに話したら、感心してた。
ばた足で25メートルは自分もちょっとたいへん、まして往復なんて、よくやったなあ、と。



スイミングスクールを後にして、ふみにどうだった?と聞くと、

「11級はめんどくさい、ま、でも楽しい。う…ん、楽しいほうが大きいかな」と言う。


それはなにより。




夕方、わたし一人で、駅の近くのお店へ、ふみの保育園のママ友の親睦会へ。
子どもも連れて来てもいい、と言われてますが、
飲むところだし、時間も恐らく遅くなるでしょうし、最初から連れて行くつもりはなかった。ふみにもそう話した。


着いたら、もう個室は大騒ぎ、大人一部屋、子ども一部屋。間は扉があるんだけど、もう子どもたちは、ずっと興奮状態。耳が痛いほど。

ふみが来たら、きっと楽しいだろうね。好きな内容と量を食べて、好きな内容と量を飲んで、存分騒いで、…、だから連れて来ちゃダメだ。


20人の保護者、来られないのは3人、その分、夫婦で来たのも何人かいて、大人も結構な数。

タバコを吸う人と吸わない人は、ほぼ半々。特にT君のお母さん、もう一本一本、止まらなくて。


アルコールがダメなのは、わたしだけ。皆さま生ビールを次から次、あまり食べもせず、じゃんじゃん飲んで、水より軽く、入りやすいようだ。

ゆず茶を黙々と綴るわたし。ビールが入って、段々調子が出て来た皆さまを楽しく見ている。


S君、頭がテーブルにぶつけて、大きなタンコブができ、H君は暑いからと、ランニングシャツ姿になりお母さんに注意され、K君をM君だと思って、M君のお母さんがK君の頭を叩き、泣いてK君はお父さんのところに来て、M君のお母さんも付いてきてあやまる。「うち男の子兄弟だから、一日何回か叩いてるのよ、どうもお宅は叩いてるの慣れてないみたいで、ごめんね」
「いいえいいえ、ほら、泣くんじゃない」とK君のお父さんが。



Yちゃんのフィリピン人のお母さんが、巨大なケーキを作って来て、Yちゃんの一緒にきたお姉ちゃんの誕生日のため、二日過ぎたけど、みんなで一緒にもう一回祝ってくれないか、と。

ハッピーバースデーの合唱の中、蝋燭は誰が消したのか、また子供たちが喧嘩。

「Yちゃんは、お姉ちゃんいるんだ」
「もう一人お姉ちゃんいるよ。18歳、わたしは28、あははは、だからたいへん。でも楽しい」とYちゃんの、四ヶ国語(英語・日本語・フィリピン語・マレーシア語)が喋れるお母さんが。

フィリピンの方って、敬虔なキリスト教徒が多く、献身的に尽くすタイプの女性が多いと聞く。


しかし18歳で28のお母さん、ちょっと複雑な家庭事情だね。でも誰もそれについて聞こうとしない。


東京は、いろんな人がいろんな事情を抱えて集まっている場所のせいか、お互い身の上話を尋ねることは、めったにしないようだ。


わたしの真正面に座ったM君のお母さん、歌手でCDも出している、恐らく誰もが知っている、けど、誰もその話に言及せず、M君のお母さんとしか。

東京のこういう粋なところは、わたしはすき。


謝恩会の話にもなって、進行役は誰なのか、Nちゃんのお母さんが「M君のママはいかが?」

「え?私?いいけど、でも私、読むだけよ、声には自信があるけど、誰かが書いてくれたら、読むよ」
声に自信がある、と本人が言っても、「そういえば歌手ですね」とは、誰も言わない。


タバコの側からTちゃんのお母さんがビールのジョッキを持って、急にわたしのところに移動、
「あの、向こうのテーブルの代表として聞いていいですか」
「はい?」
「あの、みんなは、お互いよく知らないけれど、でも多かれ少なかれ、何らかの情報はあるんでしょう。ふみ君のママだけ、謎の世界の人と言うか」

(はっ?)

「なんというか、全て不明?というか。年齢不詳、あと、なにをやってる人とか、全く読めないですし、あと、なんというかな、時々、テレサ・テンみたいな喋り方というか」

テレサ・テン?わたくしの日本語、そんなに下手かしら)


「そうそう、ふみ君のママ、本当になんというか、なんかわからないよね」同じテーブルのお母さんが、


「そうー、いつもすごいきちんとしてますもんね。本当に」

「そうそう、乱れてるところ、みたことないよね。同じ保育園で何年間、ずっと、すごいきちんとして、おしゃれで」

「本当本当、乱れた時みたことない」


「だって、近所のスーパーとか、公園とかで見かける時も、いつも同じ。ふみ君のママを見ると、え〜、あたしこんなぼろぼろの格好でいいのかなって」
(ぼろぼろなんて、なにをおっしゃいます)

「あと名前、紫って、あれはなんで読むの?」

(は〜、全部わたくしのことですよね?みなさん、気になってたんだ。聞けないだけなんだ。別に隠すつもりも何にもないよ、聞かれてもないのに、あの、わたしはモンゴル人ですって、言わないもの)


わたしは皆さまの話しを聞きながら、黙って笑って頭を右左に振るだけだった。
それから、簡単な自己紹介して、それと名前の読み方。
「綺麗な名前ですね、思わずうっとりしますね」
(もう、いいよ)

しかし、イメージっていうのはすごいもんだね。知らないうちに、いろんなものが勝手に作り上げられて、みだれたことがないなんて、とんでもない。ただ、いくらご近所でも、スーパーにしろ、コンビニにしろ、家を出ると、みんな外出になっちゃう、それなりの身だしなみを気を付けているだけだけどね。


テレサ・テンの日本語は、ちょっとショックだね。いくらなんでも。


前々から悔しく思うのは、自分の喋ってる日本語は、人にどんなふうに聞こえているのかは、まったく見当つかない。


小さい頃、住宅区に、いろんな訛りの大人がいた。

標準語を聞いて、自分の言葉を直せばいいのにと、小さいながらいつも不思議に思ってた。

しかももっと不思議なのは、その大人たち、ご自分の言葉はもう標準語そのもの、どこが訛ってるのは、まったく自覚していないようだ。


今、わたしはまさにその状態。直す直さないを置いて、まず自分は標準の日本語に比べて、どんな感じで喋ってるのか、わからない。でも明らかに、何かが違う。

母国語の力を再認識した一時だった。

巨大手作りケーキ、とってもおいしい。大人子ども40人分でもまだ余って、ふみにお土産に持って帰った。