ひび割れ壺

今日は、先週の引き続きに、小学校の入学前プログラムの②です。


身震い寒さの中に、朝、ふみと小学校へ向かう。

普通のスピードで大通りに沿って歩いて、25分ほどかかった。
これはふみの毎日の通学時間になるね。


うちからは、もう一つ小学校のほうが、少し近いけど、この小学校を選んだ。
歴史のあるこの小学校を。

通学時間30分歩くのは、体にとってもいいことだわ。


今日のプログラムは、前回の子育てのNPOの先生からの講座なんだ。


その間、子供たちは、校庭で、子供教育の専門学校の生徒のお兄ちゃんと遊ぶ。


ふみは暑いと言って、コートを脱いで、わたしに押しつけて、ずっとトレーナー一枚で走り回ってた。



講座は、入学に向かって、子供に支援すべきことについて。

子どもの、

   ・愛すること
   ・責任
   ・人の役に立つ

主に、この三点を伸ばしてあげてほしいと。


愛することは、子供の「自己肯定」に繋がる、つまり、自立に繋がる。

「子供は、親の思った以上に、親の言葉を気にして、影響されるんです。あなたはなんにもできないね、これも知らないの、みたいな言葉をよくかけられる子供は、自信をなくし、自己を肯定することできない。自分を好きになれない」とその先生が。


責任を育てるには、
   ①手助けを控える
   ②任せてみる
   ③お手伝いさせる

「下手だから、私がやったほうが早いからと思ってしまうお母さんは、たくさんいるんではないでしょうか。でも、失敗することを恐れると、永遠にできないです」


人の役に立つ。

「お手伝いしてくれたあと、お母さんたちはどんな言葉をお子さんにかけてますか?ありがとう、えらいね、うれしい、よくできましたね、上手、助かった。
これらの言葉は、主語によって、大きく分けられます。Iメッセージと、Youメッセージです。
Youメッセージとは、つまり、あなたはえらいね、あなたは上手ね。
Iメッセージとは、ママはうれしいわ、ママは助かった。
子供の人の役に立つ悦びを育てるのは、このIメッセージです。わたしはあなたのお手伝いによって、とってもうれしい、とっても助かった、本当にありがとう、これらのIメッセージを使って下さい」


「子供は小学校に入ってから、どんどん世界が広がって、あっという間に、何をしてるのか、誰とどんな話をして、どんな遊びをしてるのかが、わからなくなる。なので、子供の話を上手に聞いてあげることをしないと、子供はますます親と喋らなくなる」

「“ママ…”“手、ちゃんと洗った?”、“ママ…”“今、何時だと思ってるの、宿題は?”こういうやり取りはありませんか。子供はどんどん親に黙ってしまいます…」


夢中でその先生の話を聞いて、思わずうなずいたり、笑ったりするわたしたちお母さん。


6年も一緒に過ごすことになるので、早く慣れたほうがいいとのことで、何回も討論したり、自分の場合を発表したり。
その都度、グループを組み直して、より多くの人と知り合えるようにメンバーを変える。


部屋に入る時、一人一人、自分の名前を書いて、テープで胸に貼ってある。


話を聞くときの反応も、体験するように、二人一組、自分の好きなこと、趣味、について、語る。

聞き手は、最初は“石”になって、下を向く、何を話すのにも動かない、
その次は相手の目を見るが、無表情に聞くだけ。

最後は、相手の目を見て、うなづいて、相づちして、聞く。


結果は恐らく全員わかってますが、実際に、こうしてやってみると、また一段と感じる。
なるほど、自分の表情一つ、相手にとって、全てと言わなくても、たいへん重要なことだなぁって。

無表情だったり、うるさがった顔したり、眉をひそめたり、相手に、特に子供に向かって、やってはいけないことだなって。

親からこんな顔をされたら、子供は自分への自信、一気になくなるでしょうね。

ちなみに、わたしと組んでこの実践をしたのは、Kちゃんのパパ。
今日は日曜のため、珍しくお父さんが4、5人来てる。

Kちゃんのパパが語ってたのは、
若い時、いろいろ趣味があった、音楽とか。ギターもひいてた。
子供が生まれてから、ギターどころか、好きなCDさえ自由に聞くことなく、
車も、憧れのスポーツカーが、ワゴン車になって…

なるほどね、わかりますわかります。けど、そういう顔をしちゃいけないから、がんばって無表情に聞いてた。



こういう一見わかってる当たり前のことでも、実践しないと、ここまで身に沁みないでしょうね。



最後に、先生は一つ物語を読んでくれた。


インドで、ある御主人さまにお水を運ぶ人がいて、
毎日、大きい壺2つを担いで、川から水を組んで御主人の屋敷に行きます。

その壺の一つは、ひび割れができて、御主人のうちに着いた時、いつも水は半分しか残っていない。

そのひび割れの壺は、だんだん恥じらって、つらくなってきた。自分は壺としての本来の役目を、果たすことができないと思って、
ある日、そのひび割れ壺は、水運びに話をかけた。

「ね、本当にごめなさい。私は自分のことが恥ずかしくて、同時にあなたに申し訳なくて」

「どうしてそう思うの?」

「だって私はひびが入って、自分の役目をちゃんと果たせないから、あなたにも迷惑をかけてる」


「そう思うのか。じゃあ、今日の帰りに、君の側の道を見てみて」

帰り道に、ひび割れ壺が自分側の道を見てみたら、お花がきれいに咲いてた。


「ほら見たでしょう。君のおかげだよ」

「私が?」


「そうよ、君の壺が水漏れすると気づいて、僕は道のそっち側にお花の種を蒔いたんだ。毎日この道を通って、君のおかげで、お花たちは日に日に育ってきて、僕はそのお花を摘んで御主人さまのテーブルに生けてる。おかげで御主人さまのテーブルに、毎日きれい花が咲いて、欠かしたことがない。全部、君、ひび割れ壺のおかげなんだ」


物語が終わりました。
教室の中は、異様な静けさ。
胸が熱くなったのは、わたし一人じゃないはずだ。


「わたしたち人間は、みんなそれぞれユニークな“ひび”を持っている。
どうかお母さんは、我が子のひびを発見するのではなく、そのひび割れ壺のために、お花の種を蒔く母親になって下さい」とその先生が。