牡丹雪はなく


雨も雪もなく、穏やかだが、寒い今日。


朝早く起きて、地下鉄に乗って、集合場所へ。

二・二六事件の、現場の道を、ツアーで皆さまと踏破することに。


大手町からバスに乗り、東京ミッドタウン前で下車。そこにある、歩兵第一連隊跡を見て、


新国立美術館周辺で、歩兵第三連隊跡。

建物は改修工事はやったそうだが、形は昔のまま。もちろん今は違うところが使ってる。


ここの石畳は、いろんなことを知ってるわ。


それから、わたしたちは、七十五年前のあの牡丹雪が舞う早朝4時過ぎに、栗原中尉の部隊の3百名のつもりで、徒歩出発。


大通りは交番や憲兵がいるため、住宅街を通ったそうで、梯子は見えないように短くはずして、列の奥側で持つようにしたそうだ。

しかし結構な坂道で、あの雪の朝、だいじょうぶだったのか。
「滑らないように、靴底はちゃんと縄で縛ってた」と、同行の近代史研究者が。


途中の氷川神社では、外から手を合わしたそうだ。
そうして栗原部隊は陸軍官邸、陸軍省、陸軍参謀部を占拠。


それからバスに乗って、青山へ。

ここで中橋中尉の部隊が高橋是清邸を襲撃し、斬殺。
理由は是清は軍需費を削減しようとするから。


私は個人的には高橋是清を尊敬してる。ちなみに今、多摩霊園にある是清のお墓、管理費が滞納のため、無縁仏にされそうだという。

こういうところ、国がお金を出すべきなのでは。


高橋是清邸、今は記念公園になってる。

ここはよく通っていたけど、是清邸とは知らなかった。


それからバスに乗って、新宿区左門町で下車、鉄砲坂の上の斉藤実内相邸跡を見学。ここで坂井中尉部隊は斉藤相を射殺。
今はなんの面影もなく、すっかりマンションになっていた。

高橋少尉部隊は斉藤相を襲撃したあと、トラックに乗って、荻窪渡辺錠太郎陸軍教育総監邸を襲撃・射殺。


わたしたちは四谷からバスに乗って、陸軍省憲政記念館)に着いた。

ここでお弁当を頂く。

室外なので、寒かった。
それから日本の憲法ができるまでの歴史のビデオを見て、さらにバスに乗って、千鳥ヶ淵へ。


戦没者の墓苑を参拝した、真ん中のお棺は陶器の備前焼とのことに、やや驚いた。

岐阜県文化財、さざれ石。

すぐ近くの鈴木貫太郎侍従長官邸見学。
当時のままに残っていたこの屋敷は、今は宮内庁分庁舎になってる。

九段会館、旧軍人会館・戒厳司令部にも見学。外からだけど。中は遺族会が借りて使ってる。

それからバスで渋谷税務署の、旧陸軍刑務所跡地に行って、今、そこに建っている2・26慰霊塔を参拝。

時折細かい雪がちらつく寒さの中、今日のツアーが終わり。


うん、よかった。自分の足で、当時の青年将校の決起の道を踏破して。また今までと違う感じをいろいろと受けて。

日本は、もっと近代史を教えるべきだと、ますます思った。
歴史、特に近代史を教えないその国は、国力も減っていくはず。誇りも知らず。いつか亡国にも、気付かず。


ツアーに参加した方たち、さまざま。近衛師団のなんらか関係者もいれば、旧陸軍の関係者も。


公園で、「青年日本の歌」を、一斉に口ずさむ光景もあれば、



「今の政治家、斬殺されてもいいようなのがいっぱいいる」と語る方もいて、(おいおい)と思ったら、みなさまは大笑いしてた。


「僕は一兵卒。本物の一兵卒。誰かさんが自分のことを一兵卒と自称してるけど、あんな4億円を知らない一兵卒なんか、いないよ」


「陸軍の伝統、今でも生きてますよ。うん、生きてます。」


自己紹介の時、生れも育ちもモンゴルで、20年前に日本に参りましたと始め、2・26事件を含め、近代史に興味があり、資料を読んで、麻布の二十ニ士墓もお参りして、と、わたしが言ったら、「おー」という声が上がった。


20年前に参りましたと申し上げたはずだが、老紳士が声を震わせて「よく蒙古から来てくれたね、ありがとうな」とおっしゃって。

(-_-)


「もうそういうことにしたら。しょうがないじゃない」と知人は笑う。


「そうね。馬、売って、2頭。で、航空券買って、今日に間に合って。羊、売りたい、でも、今年不作で、羊、やせ細って…」とわたしはモンゴル訛りで言うと、知人はさらに爆笑。


モンゴルからわざわざこのツアーに参加、そう思い込んでる方が極少数、うん、そうでありたい。
ちゃんと20年前に、と言ったのにな。


主催の新聞社側のSさんが、「僕も三年前にモンゴルに行って…」、これもまずい、今のモンゴル、わたくしはなんにも語ることができないわ「あの、もう、モンゴル語、ほとんど忘れてしまいまして…」


Sさんは、今度、山本五十六とかの道を辿るツアーもやろうかなとおっしゃって。
わたくし、そういう誰でも知っていて、ちゃんとそれなりの評価や待遇を受けてる人物は、別に。
そうじゃなく、226の青年将校のような、その遺族まで、一生国賊とされた方たちには…。


「三島は?」
三島由紀夫ね。ナルシストだの、幼稚だの、言われることもあるが、彼は、憂国してた。どうであろうが、憂国してた。
そこらへんにいるふらふらしてる人よりは、自分の思想を持っていた。
三島のツアーなら、また参加させていただきます。


今日も一万歩あまり歩いて、寒い中、心身とも疲れ切った。