くまさん

知人から券をいただいて、今日はふみと、日本初公開の「パディントン ベア原画展」を観に、午前、早いうちに出かける。

土曜日なのに、電車は混んでる。考えたら、今日が五月連休の始まりだもの。


パディントンベア、というキャラクターは、全く存じてなかった。
そのチケットの、熊さんのなんとも言えない可愛らしさに惹かれた。


プーさんなどの、実の熊とだいぶ掛離れたデザインではなく、リアルさがあるものの、かわいい。それに、そのレトロな服装にも興味が湧く。
古き良き時代に、常に憧れているわたしだから。



パディントン ベアは、イギリスの作家、マイケル・ボンドにより生み出された児童小説に登場するクマです。
当時(1958年)イギリスのパディントン駅付近に住んでいた作者が、クリマスの夜、売り残された一つクマのぬいぐるみを買って、奥さんにプレゼントして、「パディントン」と名付けたのが誕生のきっかけ、だそうだ。



キャラクターの愛くるしさ、心地良い色合いと気品、アンティークな品々、また、ますます古き良き時代に酔うわたし。



6月に小学校のプールが始まると、タオルが必要になるので、ふみに、パディントンベアのタオルを購入。

やや高いけど、アメリカ西部のなんとかという最高級のコットンでできたものらしい。
触ってすぐわかる、品質相応な値段ということを。


置いてる絵本はほとんど英語のもの。小説の一冊を買った。


ふみもパディントン ベアが気に入ったみたい。会場で放映してるパディントン ベアのアニメを、ずっと立って見てた。


「かわいいね、パディントン ペア」とわたしが言うと、
「ペアじゃなくて、ベアだよ、ベアは英語のクマだから」とふみ。
あらま。さすが毎日英語の宿題を励んでるからね。


お勘定のところで、初老の男性の方、巨大なぬいぐるみ、小さいストラップ、マグカップ、手提げなどの商品を抱えてレジの傍に置いて、店員さんが計算しようとすると、
「ちょっと待って、まだあるから」と、目をいきいきと、顔を赤く光らせて、また商品棚に戻る。


この方に、パディントン ベアに関するどんな物語がございましょう。



今日は暑い、暦は確実に立夏が近づいてるとわかる。


ふみは半袖、半ズボン、日差しが強いから帽子もかぶって。


帰りの駅も電車もたいへんな混雑で、疲れてしまった。
「ふみ、午後の水泳行けそう?」
「全然行けるよ」


水泳も、混んでた。

ふみは、ずっと顔を伏せたままの「息無しクロール」を12、3メートル泳いで、それの何往復も。だいぶ慣れて来たわ。



プールから出て来て、「登っていい?」とふみは聞くが、わたしが答えてないうちに、ふみはもう見る見る土手を登って行く。

登るのはいいけど、降りるのは一苦労。


神社まで歩いたら、今度は舞い落ちる八重桜の花びらを追う。




道端に、名の知らないいろんなお花が咲く。





ふみに手を焼いてます。
小学校に入って一ヶ月まだ足らず、ふみの変化は著しい。

まず、
つい一ヶ月前に、幼児って感じだったのに、急に児童っぽく、少年っぽくなったというか、とにかく自己主張が激しい。


言われた通りにするのが、本人が何より悔しいみたいで、なにがなんでも、とにかく、言われたからって、素直に従うことは絶対にない。


もう何をするのも、何を言うのも、全部僕自身が決めるんだよ、というメッセージを、言動を通して、精一杯伝えようとしてる。


2歳ぐらいの時は、口癖のように「自分で、自分で」との時期はあった。

けど今思うと、まだかわいいほう。今のは、本格的。


大きいことも、些細なことも、「僕が、僕が」。

そればかりだったらまだいいが、言われたら、もうするのはイヤみたいで、これで困ることが増えるのだ。


例えば朝、顔洗って、歯を磨いて、と言われると絶対従いたくない。
かといって、言わないで待ってると、いつまで経っても、一向としようとしない。


なので何遍も、「ふみ、早く顔を洗って」「歯は?」「トイレは?」
なんだか朝のうちに、もうわたしは、一日エネルギーを、半分以上消耗してしまう。

この調子で、いつが限りなのか、読めないし、自信もない。
同じこと何遍も言う自分に、頭がおかしくなりそう。


この前の雨の日、「ふみ、レインシューズにしたら?」
「…、このスニーカーがいい」
は?この前は曇りなのに、長靴を履くとか言ってたじゃない。

やっと説得してレインシューズにしたら、今度は本人が、ちゃんと揃えて置いてる黒のレインシューズを見ようともしないで、めんどくさがらずに、下駄箱から、長い雪靴を取り出して、履いて、笑う。「これでいい」


「これは雪の時の履くものよ。おかしいでしょう。みんなに笑われるわよ」
「いいの、いいの」


自己主張は大事だ、成長の証しだとわかっているものの、心身とも疲れるわたくし。


今日だって、電車を乗る時の改札に、ふみはちゃんと持っている「スイカ」をピーッと当てたが、出る時は、急に、「スイカはいいや、ママの後ろについて出る」と言い出す。


「ダメよ。次に使う時は、カードがエラーに…」
もちろん耳を貸してくれない。案の定、止められて、混雑の中、人に迷惑をかけてしまって。


「すみません、息子が自己出張が芽生えて、自立に向かって行く必要な過程なので、お許しください」って、世の中には通らないからね。だからわたしはストレスを感じる。


6年生とのたびたびのトラブルもそうでしょう。
「僕はここにいる、バカにすんな」というメッセージでしょうけど。
親としては、やはり穏やかではないものだ。


反抗期の子供に、「親の辛抱」がキーワードと聞く。


辛抱我慢、辛抱我慢。


パパと話して、できるだけ思う通りさせてあげようと。


との訳で、昨日、夕飯のデザートに、ふみはアイス(前回お熱を出す時に買ったもの)を食べたいと言い出した時、今までは出してあげることなんだけど、
ふみの冷凍庫の視察、アイスをえぐりだすなんぞ、なにも言わないパパとママだった。


今朝起きて、冷蔵庫の下に水が…。

冷凍庫をきちんと閉めなかった。


パパは黙々と水と溶けた冷凍の物を処理して、ママも怒りを抑え、
「僕じゃないよね」との、ふみの白々しい顔に向かって、「どうでしょうね、ま、今度気をつけて」としか。


パパが出勤した直後、ふみは仏壇に向かって正坐して、
「ごめんなさい、ごめんなさい、神様」と言いながら、ちらちらわたしをみる。


わざとらしい、それに、神様を祀ってないし。


朝のうちに、もう疲れた。


あとは、ふみには、もう「しなさい」みたいな口調を使うと、相当反発される。

だから今、わたしは自分を説得して、できるだけ頼む口調に。


「ふみ、明日は、先週に行けなかったあの水玉の芸術展を観に行きたいけど」(今までは、明日××へ行くからね、で済んだのに)

「だから、僕はゲイジュツに興味ないからって言ったのに」


「どうしよう、ママ、観に行きたいのよ、付き合ってくれる?」

「う…ん、しょうがないな。じゃ、行くよ」


なんてめんどくさいこと。ばかばかしい…とさえ思う。



また、急に気前よくなって。

持っているものを、人に会ったら、すぐに「要る?一個あげるよ」と言う。
最初はわたしは、「ふみ、えらいね、男らしい。男はケチケチすると格好悪いからね」と適当に言うけど、
今は、なんにも言わない、ふみの気前の良さは日々増してる。


わたしの父親の気前の良さは、桁外れなものだったから、わたしはそれに慣れてるというか。


この子、もう少し大きくなったら、たくさんのホームレスの方を連れて帰って、「お母さん、何かおいしいものを作ってあげて」となりそう、うん、そんな気がする。


(-_-)


今日、ふみに、給食の光景を尋ねた。

生徒はそれぞれの机で、ランチョンマットを敷いて食べる、
先生は前に座って食べる。
食べるものは同じだが、「先生はすごい大盛りだよ、牛乳も二本」

当たり前よ。小学校の先生は、肉体のご苦労とご心労、半端じゃないと思う。
特に今の時代、常に保護者にも神経を尖らさなければならない。
民主主義の氾濫によって、勘違いしてる保護者がモンスター化する。


「食事の時はお話をするの?」
「しないよ」、みんなは小学校向きのラジオか何か放送を聞きながら食べてるそうだ。
「うちと同じね」この頃、ふみもラジオに慣れたみたいで、テレビを付けない時間が長い、NHKのラジオが、ずっと、なんとなく我が家に流れる。

「たまに質問があると答える人はいるよ」

「たとえばどんな質問?」

「学校に、男性教員と女性教員、どっちが多い?とか。女の先生!って答える人いる」


なるほどね。
食事も小学生と一緒に食べなくちゃならない先生たち、本当にごくろうさま。



夜、パパは水泳に。


掃除機をかけて、ふみにお風呂を催促。
例によって、なかなか動いてくれない。やっと歯ブラシを口に入れて、本当に入れただけで、すぐだして、はい、終わりと。

「ちょっとふみ、今日はママが仕上げしてあげる」

見てみたら、まー、磨き残しいっぱいあるじゃありませんか。

しかも今日のじゃない。それらをきれいに磨いたら、歯茎から少し血が出た。軽い炎症があるという証拠だ。

「ほら、ふみ、歯はちゃんと磨いて磨いてって、いつも言ってるでしょう。この調子じゃ、まもなく虫歯になるわよ」

“虫歯”という響きと、目の前に出された血の付いてる歯ブラシで、ふみ、泣いた。
だんだん号泣になって、「いやだ、い、いやだ、き、聞きたくない、こ、怖い、あ〜」

「はいはい、わかった。シャワー浴びよう、まだだいじょうぶよ、まだ間に合うから。虫歯…」
「あ”−、ま、また言った、言わないでって、い、言ったのに、あ”−、もう、もう、もうぼくもママのことを、い、言う、みんなに、みんなにばらまく、あーー」


笑いだすの我慢して、「ごめんごめん」

「もう、ダメ、あ”−、ママのこと絶対い、言う、あ”−−」

「ママのことって、何を言うの?」

「ま、ママは、わ、忘れ物する、財布も携帯も持ってないで、で、出かける、あ”、ばらまくー」

「あと何?」

「あ、あとは、ママ、ヒンケツ、それも、も、ばらまく」


あははは、吹き出してしまって。貧血かー、何の話よ。


「貧血はね、ママが努力してないからなったんじゃないもん、しょうがないのよ」
「ママの努力が足りない」

「ま、そうかもしれないね、レバーとか食べれればね」


わたしの場合、あまり関係ないみたいだけど。



パパが帰ってきて、今日買ったパディントン ベアの本を読んあげて、ふみはそれを聞いて、ケラケラ笑って、眠った。