雷
今朝、7時半頃に、パパはふみを連れてサイクリング教室の整理券をもらいに行って、
戻ってきて、わたしは9時にふみと教室に向かう。
わたしは、まる二日ぶりに外に出る、なんとなくフワフワして。
二回目の自転車、ふみは両足で地面を蹴って、すぐ足を、ペダルを外された軸に上げて、そのまましばらく前進できるようになった。
しかも、そのままカーブも曲がれて、もうペダルを付けてくれれば、漕げるのに、なぜかおじさんは、なかなか見向きもしない。
水を飲みに、わたしのところで止まるふみに、「おじさんに言ってみたら?ペダルを付けてって」
「いいよ、言わなくても、おじさんたち見てるから、だいじょうぶな子は付けてくれるから」
「そう?そうね、もっと練習したほうがいいね」
おじさんたち、公平に見てはくれてるのだが、けれど明らかに特別に配慮する子がいることはわかる。
背中を押して一緒に走ったり、まだまだなのにペダルを付けて、漕ぐ練習をさせたり。
その差は、親だ。
大きい声で我が子を応援して、指導して、観覧側で言葉をかけながら、一緒に走ったり、ビデオを撮ったり、そういう親の子を、おじさんたちは自然に配慮してる、ま、気持ちわからなくもないが。
わたしは、そうしたくなかった。
日傘をさして、隣の、孫の練習を見に来た若い祖父母が、「いっぱいあるからどうぞ使って」と差し出して下さったシートに座り、ふみの様子を、ただ眺めてた。
ふみの自転車が誰かの自転車と絡んで、ふたりとも倒れた。その子のお母さんは急いで駆けつけて、我が子を立たせて、自転車を立たせて、
ふみは、すぐに起き上がれない姿勢で、しばらくそのままでいた。
隣の若い祖母はわたしに“行かないの?”という視線を投げてきたが、
わたしは微笑みを送り返しただけで、やはり動くことをしなかった。
ふみは、慎重に手を自転車の間から出して、少しずつ起き上がった。
そして、また乗り始めた。
わたしが小学校の時に、自転車に乗りたくて、応じてくれない大人の目を盗んで、親友の女の子と一緒に、彼女のか、うちのか、の大人用の自転車をこっそり運び出して、大学の、室外バスケットボール場を回って、自転車の練習をしていた。
どれぐらい転んでも、痛みを堪えて、蛇口で、血と砂がまみれた傷口を流して、親にバレないように、何事もないような顔を作って、うちに戻る。
やがて、わたしも彼女も自転車を乗れるようになった。
けど、大人用の自転車なので、降りる時は、わたしはどうしてもうまくできなくて、必ず彼女が、減速したわたしの自転車の後ろに走ってきて、リアキャリアを引っ張って、わたしはそのほぼ固定されたタイミングで、降りて来る。
ふたりは言葉も要らず、まったくの、あ・うんの呼吸で。
一度、彼女は急にトイレに行くとうちに戻って、なかなか出てこなかった。
自転車に乗ったままのわたしは、困った。
室外バスケットボール場のすぐそばの彼女の自宅の窓を通ると彼女の名を呼び、そのまままた一周、彼女のおうちの窓を通ると彼女の名を呼んではまた一周…。
そのまま、彼女が出てくるまで乗り続けていた。どこかに軽くぶつかって止まる、という勇気はなかった。
比べて、ふみたちはラクだ。多少のアザや、皮膚の擦りむけるぐらいは。
「あの…」振り向いたら、首に大きいカメラをぶら下げたお父さんが、「さっき、あのおじさんが、午後の部とかなんとかって、なんの話ですか」
一緒に走って娘を励ましながら、写真を撮るそのお父さんは、事務のおじさんの、午後の部もまだ空きがあるから、希望者がいれば、という話を、ちゃんと聞いてなかったんだ。
ふみの手は、もう少しで皮膚が剥けそうになって、でも弱気を吐かないで、よく頑張ってた。
自分で自転車の練習してもよかったけど、やはりこんなに安心して走れるコースは、なかなかないから。
目の前に、緑の虫が木から落ちてきた。
びっくりして日傘を差し出して、見事に傘の上に落ちた緑の虫は、体をねじりながら、上へ向かって登って行く。
「これ、蝶々の幼虫だよ」とふみが。
「ふみ、その枝を拾ってくれる?」
わたしは渡された枝で、そのぐにょぐにょしている緑の幼虫を落とそうとしたが、
なぜか、枝が虫の体を刺してしまって…。
ふみとしばらく黙って歩いたら、「…さっき、あの虫、刺されたね」とふみは口を開いた。
「…。わざとじゃないのよ、なんでああなったのかしらね。いやね。別に力は入れたわけじゃないのよ」
「蝶々になるのに。死んだでしょう。ああ〜、かわいそう、ママやっちゃった」
「わざとじゃないよ」
「ああ〜、昨日、子供の日なのにな」
子供の日と、どんな?あ、幼虫だから?
申し訳なく、お経を唱えて。
よいお天気から一転して、午後は急に空が暗くなり、遠くから雷がゴロゴロとやって来て、早足でうちに着いて間もなく雨がザーザーと降ってきて、またすぐ上がって。
茨城あたり、ひどい竜巻に。