雨上がり
昨日、小学校の図書室のボランティアで、朝、ふみを見送りして、そのままわたしも学校へ向かう。
図書室の先生が、火曜日しかいらっしゃらないから、仕事の内容を覚えて、それから自分の好きな曜日に行けばいい。
8:45は一限目、それまで学校の近くのコンビニの二階でコーヒーを飲んで時間をつぶすことに。
今日は、広報誌に載せるため、一年担当の先生に、運動会の感想文の依頼も伝えないと。
ほかの広報担当は電話で、と言ってるけど。
学校の正門の長い階段を登る途中、
「おはようございます、今日は…、図書室ですか?ご苦労さま、どうもありがとう」
と、上の方から声が聞こえ、立ち止まって、仰ぎ見たら、校長先生でした。
先週、図書室ボランティア10人ほどが、初めて打ち合わせ、その時に、校長先生もお見えになって。
なのに、もうそのメンバーの顔を覚えらして、本当に感心する。
この校長先生がいらっしゃるから、この学校がある、と、ある意味で言える。
図書室で、5年生が図書の時間のようだ。
わたしは図書の先生の指示通りに、絵本本棚の絵本を、あいうえお順で並べ替えを。
棚は低く、正座してちょうどいい高さ。
誰とも触れ合うことなく、黙々と一人作業すること、好きだ。
今日は梅雨寒で、カーディガンを羽織ってちょうどいい。
今朝、ふみは、シャツの中にタンクトップを着ることに、大反発。
今日は寒いから、風邪引くからと説得しながら、自分の小さい時を思い出す。
今日は寒いから、ズボンの下にもう一枚毛糸のズボンを履くようにと母親に言われると、あのでこぼこの毛糸が大嫌いで、寒くない寒くないとずっと、ぐずぐずしてた。
人間って、子供の時に子供のやることをして、親になったら親のやることをするもんだね。
おかしいね(∋_∈)
雨が、時たま、ぼつぼつ、ひんやりした外と違って、図書室は、むしむしして、ちょっと暑い。
5年生に付いてる若い男の先生が、「もう返還しましょうね、時間ですよ」と言ってるが、声が小さく、態度も優しすぎ。
何回言っても、生徒さんは普通にガヤガヤと、動こうとしない。
急に、60代の×先生が入って来た。
女性だけど、いかにもスポーツマンの×先生は、運動会や何かのイベントで、いつも大活躍。
「ちょっとぉー、どういうこと?聞こえない?信じられないんだけど、サッサと、本を返して、教室に戻ってぇー」
図書室すぐ静かになり、生徒たち、ぞろぞろとスムーズに動きだす。
笑ってしまった。
一緒に柔道をやるK君のママも言ってた。
小学校に、いかにも草食系の男の若い先生がいて、なめられてる、と。
「最近の若い男の子、どうなってるの?」とK君のママは苦笑いする。
絵本棚をだいぶ整理して、図書担当の先生に言って、広報のアンケート用紙を持って、わたしは職員室へ。
半分開いてるドアから、ちょうどふみの組のK先生の座っている後ろ姿が見えた。
ノックをして、振り向いた先生は、すぐ出て来た。
用紙を説明してお渡しすると、先生はちょっと戸惑った様子で、
「あれ?Kさんから、アンケートの用紙を頂いたけど、昨日」
あれはプライベートについてのだもん。
「コーヒー派、それとも紅茶派」とか。でもそれを見た途端、コーヒー派、それともお茶派ならわかるけど、洋風か和風かということで。コーヒーも紅茶も、どちらも洋風じゃないのと思って。でもなにも言わなかったけど。
そのまったくのプライベートのアンケートは、広報の委員長のKさんが先生に渡したんだ。
「これは、運動会のページ用です」
「あ、そうですかそうですか。わかりました。終わったら、どうしましょう、ふみ君の連絡帳に入れればいいんですね?」
「はい。では、よろしくお願いいたします」と、図書室に戻ろうとしたら、
「あ、ふみ君のお母さん…」
(-_-)
なんだか、そんなに遠くない昔に、こんな言い方でわたしはよく呼び止められてたわ。
「は、はい」なんか嫌な予感が。
少し前、学童の個人面談が終わって、わたしはその内容を学校の連絡帳に書いた。保育園の時では、毎日のように先生から苦情を聞かされて、ということも書いた。
「お母さんの連絡帳を読んで、なるほどなと思いました。ふみ君と合わないその保育園の先生、もしかして若い女性の先生では」
「はい。そうです」
「あー、だからですね」とK先生が。
ふみは、小学校に入ったばかりの時期に、女性の先生、とくに若い女性の先生に対して、ほとんど敵意を持って、言うことはもちろん聞かず、口調は全部上から目線。
その例の一つ。ふみは廊下でふざけてた時に、ある若い女性の先生に制止される。
するとふみは、「おまえは誰だよ」と言って怒って、その場を離れるその先生を、足を挙げて、先生はそれに引っかかって、…。
!!!わたし今、何が聞こえたのでしょう。
日本語に違いないが、何の話しでしょうか。
驚いて、言葉が出ない。
学校が始まってすぐ、ふみは6年生と喧嘩になったのを聞いて、充分びっくりなのに。
「彼の中では、上も下も、先生も生徒も、そういうの一切関係ないです。よくわからないですけど、恐らくその女性先生との戦いで、味を覚えて、好き放題に…」
「…」
「僕は男ですから、そんな感情的にはならないです。女性の先生は、そうなりやすいと言いますか。彼の動きを一々押えようとして、それで完全に彼のペースに乗って、振り回されることになって、それで感情的になると、余計に悪循環…」
「…」
「ふみ君は優しいお子さんです。とても優しい心を持っていますが、ただ学校で、生徒さんとしてあるべき姿勢がわかっていない。目上とか、先生とか、彼は全部上から目線です。小学校一年はとても重要で、このままだと、誰も手をつけられない子になる恐れが…」
「そ、ですか。申し訳ありません」
「いや、お母さん、お母さんが悪いんではないです。彼はずっと、たぶん自由に、好き放題でやってきて…、今は、だいぶよくなってきてます。なにしろあの体力ですから、有り余って、じーっと座るのは、彼にとって相当なストレスかもしれません、発散したくて仕方がないと思います。なので今は相当頑張ってると思います」
「そうですか」
「ふみ君って、もやしときゅうり、嫌いではないですか?」
「はい。大嫌いです」
「学校では、普通に食べてますよ。頑張ってるんだなとわかります」
「そうですか」
「あとお母さん、男の子は、ある時期になると、劇的に変わるから、長い目で…」
気が付いたら、わたしは手に持っていた用紙を入れるクリアファイルをぐるぐるにして、きつく握りしめている。
「先生、ふみに何か問題、あるいは先生がお気付きなところがあれば、どうぞ、叱ってやってください」
…
学校の個人面談は15分だそうだが、先生と廊下での話しは、2、30分はあったと思う。
「お母さんは、PTAが初めですよね。こう言ったら不適切かもしれないが、できることはやって、できないことなら、流せばいいんです。他のお母さんたちは、ベテランの方が多いですから、あまりそうじゃない人の気持ちや立場を充分配慮ができなかったりしますから、気にしないで、適当にやればいいんですよ。どうせ一年過ぎたら、当分の間は回って来ないですから、ははは」
「わたし、図書室の仕事が好きです」
「そうですか。それはよかったです。ぜひ、いらしてください。助かります。あと、教室にもいつでもいいですから、参観してください。ふみ君の様子とか。いつでもどうぞ。教室に入ってもいいですし、後ろからちょっと覗くだけでも…」
図書室に戻って、続けて絵本棚の整理。頭は、真っ白。ふみ…。
「おまえはだれだよ」、ふみ、想像付かない。ふみのこういう言葉、聞いたこともないし、想像も付かない。
普通、あんな事件があったら、もうわたしは呼び出されてたでしょう。
先生はなぜすぐそうしなかったのか。たぶん、どういう親なのか、わからなかった。
もしかして一家がこういう系の人間だったら、そうしたら、もうなにも言うことがないでしょう。だって今さら親を教育するのも、考えられないでしょうし。
何回か、短いではあるが、接触があって、先生はたぶん、この母親は「おまえはだれだ」と言う人間ではないと、判断したのでしょうか。
わたしは気力を失った感じで、手を機械的に動かして。
もう一人図書ボランティアのお母さんが入ってきた。
なんだかんだでいろんな遅くなったいいわけをしてるようだ。
ボランティアだから、そういうのは要らないのに。
それからそのお母さんは、わたしが整理したあとを、適当に本を取りだし、また戻し、それからあっちこちうろうろ。
図書の先生がわたしのところに来て、
「××さん、朝からずっとやって下さって、どうぞ、適当にお休みになってください」と。
「いいえ、そろそろ出ますから」
手が真っ黒、手を洗う時、そのお母さんが図書の先生に、
「日誌ありましたよね」と言って、一生懸命日誌を書くことに「えっと、今日は、本棚の整理をやりましたと」
外に出て来た。
雨は、やはりぼつぼつ。急に喉が渇いて、コンビニに入って、冷たいお茶を買った。
K先生が知ってるふみは、全部じゃない。
ふみは、そういうふうになったふみは、訳がある。わたしはK先生に伝えるべきだ。弁解ではなく、事実を先生に伝えるべきだ。
ひどい疲労感に耐えながら、夜遅くまで、連絡帳に先生へのお手紙を書いた。
「今日はお忙しい中、ふみの様子を聞くことができて、ちょっと複雑な心境になりましたが、お話しができて、ほんとうによかったです。
ふみは保育園で、とくに年長さんの一年間、いろんな意味で、たいへんだったと思います。
先生の言う通りに従えないふみは、ほぼ毎日毎日その先生とトラブルになります。
お迎えに行くたびに、呼び止められるわたしは、興奮状態の先生に向かって、何も言えず、あやまってばかりでした。
年末の発表会の劇で、ふみの孫悟空の役を、言うことを聞かない罰として、降ろされました。
ふみは小さい時から、西遊記にとても興味を持っていまして、悟空が大好きでした。
たまたま発表会の劇で孫悟空をやると知った時に、もう大喜びでした。セリフも動きも一生懸命覚えました。
先生は、ふみがこれで屈すると思っていらしたようですけど、ふみは悔しさを見せるどころか、何事もないみたいに、八戒の役を務めてました。
けれど、ふみは昔から、八戒が大嫌いとよく言っていました。
「八戒もかわいいじゃない」とわたしが言うと、「食べて寝て、あとなんにもできないから、イヤ」とふみは言うのです。
ふみは八戒を楽しそうにやって見せてたのも、その先生との“戦い”なのかなと思うと、かわいそうで仕方がありませんでした。ふみも、その先生も、です。
ふみとその先生の間は、とてもよくない状態だと感じながら、
「もうちょっと我慢して」「ママはふみを信じてるから」とふみに言うことしか、わたしはやはり何にもできなかったのです。
卒園の謝恩会の時に、たまたまその先生と同じテーブルでした。
誰も喋っていない静かな間に、ふみはにこにこして、大きい声で、
「F先生の趣味はね、怒ることなの」と言ったのです。
びっくりして、わたしはもうどうしたらいいのか、わからず、じーっとその時間を耐えて、(これが夢だったらどんなにいいんでしょう)と願っていた気持を、今でもはっきりと思い出せます。
卒園の間際に、その先生がわたしに、
「きっとふみ君はいいところがたくさんあります、ただわたしはまだ気付いていません」とおっしゃっていました。
ついこの前、ふみが「実はね、保育園に行きたくないなって思う日、たくさんあったんだよ」とぽつりと。
最近知ったのですけど、2組の××さんたち、その先生への不満で、園長先生まで、訴えたのだそうです。
わたしは、生れは日本ではありません。今は国籍は日本ですが、この国に、親族が一人もいないのです。かといって、今は、帰れる故郷もありません。
ふみに手を焼かれながらも、何にも恐れず、くよくよせず、はっきりした主張を持つふみが、羨ましいと思う時があります。
「僕の耳はスイッチがある、意地悪の言葉は聞こえないよ」と言うふみに、困ったなと思う反面、羨ましいと思う時があります。
4歳半の時から、6歳になる直前まで、ほぼ二年間かけて、ふみと電車に乗って、バスに乗って、江戸三十三観音のお札所巡りをしました。
いろんな寺院にお訪ねして、お参りして、ご朱印を頂いて、行く先先で、ふみは積極的にたくさんの方と触れ合い、明るく、楽しく、生き生きとして、本当にいい子だと思います。
小学校一年で先生に出会ったことを、よかったなと、心より思います。
こんなふみですけど、よろしくお願いいたします」
と。
今日、帰ってきた連絡帳に、K先生の字で、
「どうぞ、おまかせ下さい。がっちりささえます。一年間よろしくお願いいたします」とのお言葉が。