マラソン

昼から、建て直された温室植物園まで、歩いて行くことに。
と言っても、近所だから。


今日は暖かい。風もなく、穏やかでまるで初春のよう。


温室の中、湿っぽくて暑い。

ふみは、なぜかとっても気に入って、「もう僕はずっとここにいてもいい」と言って、何回も回って、わたしの携帯で写真を撮る。



今日は、ちょっと体調がイマイチ。疲れたかしら。

枯れた芝生に座り、ダッシュするふみを見る。


帰りは、少し遠回りに電車駅まで歩いて、
豊川稲荷まで歩く?」と聞きながら、「いやだ」という答えを待って、それで帰って横になろうと…、

「行く行く」

えぇ〜〜〜


きっと、さっき会った親子たちのせいよ。

さっき、同じ小学校の二年生親子二組と会った。マラソンの練習に行くと言って、今月のシティマラソンの児童コースに出ると。
「ふみ君も今度ぜひ参加してね」と、そのトレーナー姿の親子たちは消えて。


ふみの闘魂を燃えさせたのかしら。


「帰ろうよ」と言えず、足を動かすわたし。


青山一丁目まで歩いたら、もう休みたくて休みたくて、ふみに言ったら、応じて、カフェに入った。

暖かいコーヒーを飲んで、また歩き出す。


なんと、ふみはマラソンしたいと言って、走り出す。

いつものダッシュではなく、ゆっくりのペースで、だけど、あっという間、視野から消えて。


御所に沿って走ってるから問題はないが、しかし、途中休んでもいいはずなのに、ずっと走ってるのね。その体力、10分の1でもいいから、分けて欲しいわ。


わたしが豊川まで辿り着いたら、ふみは境内でぶらぶらしてた。少なくとも八百メートルを走ったようにとても見えない。

お参りして、さらに歩きだす。


些細なことで、ふみと喧嘩して、わたしは一人、歩きだす。
ふみは、きっと付いてくると思った。


しばらく歩いたら、気配を感じない。
振り向いたら、ふみ、元のコースを歩いてる。

後ろ姿だが、黒いコートのポケットに両手を入れ、オレンジ色のカバンが斜めに掛けられ、悠々と、ふみは歩く。
後ろ姿だが、まるで口笛でも吹いてるかのように、悠々とふみは歩いてる。


ウソでしょう、半ベソかきながら、「ママ、ママ」と付いてくるはず、ついてくるべき、それしかないのに!


なのに、ふみは悠々と、うちと全然離れてる街を歩いてる。


御所を警備している警官がわたしを見る。ふみとの経緯をずっと見て、楽しんでるに違いない。


くやしいーーー


このまま行こうか、ふみのことが心配だし、わたしは立ち止まったまま、ふみの後ろ姿をにらむまま。


角を曲がって、ふみは見えなくなって。


わたしは走り出す。ふみを追っかけに。


登り坂。ぶらぶらとしか見えないふみは、どんどん遠く行って、見えたり、見えなかったり。


心臓がパクパクして、口から出てきそう。やめようか、ダメ、走る、走るしかない。

ブーツのヒールが、コンクリートにぶつかって、明るい音を鳴らす、けどそのスピートの遅さに驚く。
でもわたしは全力のつもり。


信号だ、チャンス、走る走る、ダメだ、ふみは信号を渡った。


信号の前に止って、しゃがんで、心拍の激しさを感じて、もう心拍数を数えるのもできないほど、心臓はもう少しで飛びだしてくるわ。


鼻がツンとなって、涙が出てきそう。


両手をポケットに入れたままのふみは、また角を曲がった。


角を曲がると、もう繁華街。


行き交う人の中、あのオレンジカバンが見えたり、見えなかったり。


土色の顔して走るわたしを、ちらちら見る人がいる。


たくさんの人がいるため、ふみのスピートはだいぶ落ちて、一軒カフェの前で、わたしは手を伸ばした。ふみの肩に届いた。


「うん?」ふみは何事もないように振り向いてわたしを見る。


悔しさ、悲しさ、疲労感、心配、いろんな思いで、涙が一気にワーッとこぼれだして、止まらない。

人の目も気にして、壁に向かって、涙が…、気が付いたら鼻水も。


「はい」とふみはティッシュを出して。

「いらないっ」わたしは自分のハンカチを使う。

「どうして待ってくれないの?どれぐらい走って、ママ心臓が悪いから、死んだらどうするの?考えないの?」

「知らなかったよ」

「うそ。見たでしょう、振り向いて」

「見てないよ」

「うそ、見た。三回も」さぁ、三回振り向いて見たかどうかは、とにかくそう言いたい。


本当に疲れ切った。
タクシーを止めて。帰宅。

「どこに行きたかったの?」
「え?歩いてうちに帰ると思ってただけよ」


なんか、わたしの惨敗。