嵐のよう

今日のお弁当、パパがウルトラマンを。

器用ですね。



1年生を終わって、この一ヶ月ぐらいかしら、ふみは著しき、“反抗”が始まったのです。

とくにわたしに。

とにかく言う通りにしたくないです。
そのため、明らかに本人はそれに苦労しても、やせ我慢して、わたしの言う通りに従うのが、くやしくて仕方ないみたい。


わたしは、苦しく感じました。どうしたんだろう、なんでこう一々わたしを困らせて、本当に悩みました。


今日は、朝から嵐のように雨風が強くて、ふみも、朝から嵐のように反発。

今朝起きて、ふみはいつものように言われなくても、塾の宿題をやり始めて。


残り半ページの時、わたしが“全部やってね、じゃないと夜はウルトラマン見ちゃダメだから”と言ってから、ふみの宿題は、進まなくなったのです。


「やらないなら、今日のウルトラマンは見なくていいのね」

「いいよ、別に」

「ほんとうね?じゃ、書いてよ!」

「わかった、書くよ」

ふみは淡々とこの紙を書いたのです。

反発の時のふみは、いつも淡々と、冷静、興奮するのは、いつもわたしのほう。


「雨風は強いから、今日はレインコートー…」

「いや、ジャンバーでいい」

「お弁当が濡れるから、ビニール…」

「濡れない」

「9時まで20分もあるから…」


「だいじょうぶ、今行く」

「20分も前よ、行っても入れない…」

「別にいいもん、インターホン押さないから」

ふみは、お弁当を持って、傘をさし、嵐の中に消えました。

今日みたいなお天気、学童まで送ろうと思ったのに。


一人で、いろいろと考えました。

ふみは、いわゆる反抗期と言うか、自立心が強くなってる、そういう時期でしょうね。


普通、小学校3年生から、と、よく聞くけど。個人差があるでしょう。

反抗期のない子は、大人になって何か事件を起こす人が多い、ともよく聞きます。


僕は僕、親のあなたとは別の人物、別の考え、別の人生、いくらあなたは親でも、ぼくは言いなりにはなれない、わかってくれ。

ふみは、一々のつまらない反発で、このメッセージを強く発信しています。


母親のわたし、喜ぶべきですよね。

いつかそういう専門家がいて、「極端な話、自分の子供に“クソババー”と言われたら、あなたの子育ては、成功したと思っていい」とおっしゃって。
また、「反抗期の“薬”は、親の辛抱」とも。


ふみは精神的に自立しようとしている(物理的にはまだ親離れできないが)、微笑んで見守るべきだわ、わたし。


自分の教訓、自分の経験、無理やりにふみに押しつけない、いくらそれは子を心配している親心と言っても、今のうち、彼を自分の考えで、自分の道を歩ませるべき。例えそれで転んでも、挫折しても、明らかな遠回りにしても。
神様!わたしに、それを、ただ微笑んで見守る力を下さい!

そして彼がSOSを出した時にだけ、手を差し伸べて。
どうか神様、頭ではわかっているわたしに、行動もそれを常に思い出し、守れるように。その力を下さい。

思わず神様を頼りたくなる、子育ては難しい。



この雨風の中、タヌキが(!!)迷いこんできて、主人が、コーヒー用の粉ミルクをぬるま湯で溶かして与えたら、飲んで、今度は牛乳を温めたら、飲んで、マドレーヌを与えたら、食べて。

このタヌキ、痩せ細って、雨に濡れて、かなり弱っています。

しかし、こんな嵐の中に現れるタヌキなんて、誰かのお使いなのでは、と思ってしまいます。

以前は、東宮御所の周りでお散歩の時にも、タヌキと遭遇したことがあります。その時のタヌキは、まんまるで、タヌキらしいタヌキでした。


今日のタヌキは、与えたものを結構食べて、だいぶ元気になりまして、

雨も風もあがってから、とことこ、坂を登って行きました。


主人の俳句、

花冷えの寺に狸の迷い来て

花冷えの雨に震へる狸かな


しかし都心なのに、2メートルのヘビだの、タヌキだの、よく出ますね〜