雨パラパラ


牡丹、あと少しで満開ですね。


午後、仕事先に出入りする骨董商のTさんが、わたしと同じ故郷という男性を連れて来ました。

同郷だからって、会いたい、と思ったことは、ほぼ一度もありません。

同郷かどうかより、話しが合うかどうか、価値観が合うかどうか、それだけが唯一の理由であって、どこの生まれというのは、わたしには重要ではないと思くっています。


そのわたしと同郷のSさん、来日12年、大学では物理を専攻して、今は日本の会社で勤め、同時にNPOだのなんだのの肩書がいくつもあって。


今は日本の国籍に。日本名の苗字は、日本の大学院の恩師の苗字を取ったと言う。


「20年あまり?!」彼は、わたしの来日年数を聞くと、「それはすごい。そうだ、あの時に来日したモンゴル人、“王”の末裔が何人もいたはず。ちなみに…」

わたしは微笑みを保って、黙っていました。

「ご両親の出身地は?」Sさんはさらに尋ねる。

Sさんは純モンゴル人ではないという。お母さんがモンゴル人なので、片言は聞き取れ、喋れるというのです。


でも来日12年の今も、毎日うちでモンゴルのミルクティを作って飲んでるだそうです。「毎日飲まないとダメになる」と彼が。

そのミルクティの茶葉は、わざわざモンゴルから持って来るのです。
「昔のは、こうー」彼は一尺よりさらに大きい長方形を両手で作って見せて、「でしょう?これぐらいはあるよね」、(確かに)、「今は、板チョコみたいに、小さいし、手でちぎれるんですよ」
ミルクティに使う圧縮茶の“専茶”のこと。

そして、「定期的に両国にあるモンゴル料理屋さんに行くんですよ。羊のしゃぶしゃぶ、定期的に食べないと、なんかこうー」彼は頭を横に振りながら、「口が物足りないというが、口寂しいというか、あなたは?羊のしゃぶしゃぶ、食べてる?」


食べてないです。
Tさんが「この人ね、肉が食べられないんだよ」と。

Tさん、肝心のことを何回言っても忘れたりするくせに、妙なことをはっきりと覚えたりします。

「それは残念だね、羊肉…」


それからは、モンゴル旅行、馬を乗る風景、見たらうつ病も直せる、何にもない、ただただ広い草原、という話で盛りあがって、

わたしは、「王の末裔」との言葉で、心の奥に何かが動きだしたようで、ボーっとしてます。


「出身成分」の欄に「貴族地主」と書いてるため、泣いてる小学生の姉、

「没落貴族の名残り、まだ完全に消してない」と、父に浴びせる言葉。


毎年お正月に、ほぼ定番に、うちにやってくる酔っ払いのおじさんが、「自分が王の末裔だと思って、いい気にするなよ!人をバカにしやがって!言葉に出してないが、人をバカにしてるんだろう、何さまのつもり…」と父の顔を指さして、罵倒する。

…。

いろんな思い出が、心の奥の奥を埋めてます。


わたしは貴族の末裔です。
わたしの父祖にあたる人間は立派な“巴王”です。
あの教育を重視し、苦学生をいっぱい居候させる巴王です。

あの溥儀皇帝と一緒にソ連に行って、ハバロフスクで永眠した“巴王”です。

わたしの父が16歳まで、貴族として暮らしたのです。


なぜか、近年になって、わたしは、これら苦い思いを、誇りと感じるようになりました。

口には出さないが、わたしは自分に流れている血を、とっても誇りに思い、貴族のプライドを持って生きて行けたらと思うようになりました。

なぜでしょうか。

高校の時、無表情のわたしの一枚の写真を見たお友達の弟さんが、「貴族みたい」と、一言いって、お友達がそれをわたしに伝えたのです。


わたしは、たまたまそれを父に話したのです。

すると父は、普段、周囲と同じく貴族という身分に批判的な論点を持つように見える父が、一瞬、ほんの一瞬、嬉しそうな顔をしてた、「何が貴族だ…」と父は部屋を出ました。


あの“一瞬”、忘れられなかったのです。


いつか、わたしも空へ登って、父に会える日があれば、堂々と「お父さん、わたしはプライドを持って、貴族にふさわしい品性と品行で生きて参りました」と言えるような人間になりたいです。


わたしは目の前のSさんに向かって口を開いて「あなたは、“巴王”を御存じ?」

「…、だからなんだ、会ったときに、違うと思った。うちの母親の出身地にも王がいて、やっぱりその恩恵を受けて生きていたとよく言ってたよ」

Tさんが「ずっとあなたのことを、気品あるなぁって思ってたよ…」


Tさんは話術がうまい、商売上に必要な武器なんです。

普段のわたしは、Tさんの話をほとんどって言っていいぐらい、聞き流してましたが、けど今日は、わたしはそれをお世辞・社交辞令と思わなく、真言葉として受け取りました。


なぜなら、これはわたしの唯一の親孝行の時ですから。


お父さん、こう言われましたよ、喜んでくださるのね。



今日は、ひんやりして、時折、雨が降って。

ふみに買ってあげた、この夏の半袖です。

清潔で爽やかな格好していれば、そんなに外れた道は歩まないでしょうと、わたしはそう思います。