軽井沢
東京は今日も35度です。
わたしの体調、もう限界に達したなのか、なんだか体力的にも、精神的にも、ダウン。
軽井沢までは、長野新幹線で約一時間です。
パパとふみは、あまちゃんのウニ丼だの、焼き物の壺入りのタコご飯だの、
わたしは、食欲皆無。
甘いパンと熱いコーヒーを買って、なんとかかじることに。
やはり、わたしは北国の生まれで、あまりにも長い暑さには、到底ついていけないことを、つくづく思います。
生まれた土地の水を飲んで、風に当たって、それでもう体質が決められたのでは。
いまのわたし、昔より、遥かに暑さには慣れていることでしょうけど、やはり、毎年やられます。
悲しいことに今は、寒さにもどんどん弱くなって、マイナス20度の日々、まるで前世の夢。
宙ぶらりん〜
軽井沢は、爽やかです。
日陰にさえ入れば、風がひんやりして、東京なら、1ヶ月後に、やっとこんな感じになれるんじゃないかしら。
小さい頃の故郷の夏を思い出して、懐かしく。
軽井沢の駅前、ポリーみたいな雲が。
ポリー、今はどうしてるんでしょうね。
暗くなっても、ひとりぼっち。
「ポリーちゃん、ポリちゃんちゃん」と言ってるのでしょうか。
ホテルは、かなり山の奥で、送迎車で駅から40分ほど、やっとたどり着いて。
パパがチェックインの手続きをやってる間、スタッフの方がきて、ソファまで案内して、わたしのボストンバッグをソファの前の机の上に置いてくれました。
ボストンバッグは、一応キャリー付き、これは下ろしたほうがいいのかなって、ちらっと思いましたけど、ソファに腰をおろしたら、もう立つ気力がなくなって、
しばらくしたら、となりのソファの女性(普通の客)が急に立ち上がってスタスタと目の前にきて、「これ、あなたのですか、おろしたほうがいいじゃないですか?テーブルの上ですよ」と、そのキャリー付きのボストンバッグを指して。
「スタッフの方が置いて下さったんですけど」と、わたしはかろうじで答えて。
「あそう」と、その方は自分のソファに戻りました。
慌ててバッグをテーブルから下ろして、もう体中の血が一気に引いたような…。
ひゃー、なんでこんなことになる…。
さっき、いくら体調がよくなくても、頑張ってバッグを下ろせばよかったのに、
そういえば、先から、女性が、ちらちらこっちを見るの気付いた時に、バッグを下ろせばよかったのに、
なんだか立てられなくなった気分。
こういうのダメだな〜わたし。ほんとに。とても落ち込みます。なかなか立ち直れないです。
部屋について、ふみはその足で、パパと温泉へ、プールへ。
わたしは横になって、テレビを眺めて、引いた血は、戻りません、寒く感じて…。
だから人間が苦手なのよ〜
だから安易に人間と付き合いたくないのよ〜
だから動物や植物のほうがよほどいいのよ〜
夕食は、レストランでですから、よそうかな、わたし。
あの女性を含め大勢の人と同じ空間にいるのは、苦痛なんです。
人間と付き合うのは、よほどのエネルギーが要るのです。
それに、何も食べる気になれませんから。
あ〜、でもね、ふみとパパ、困らせることになるもんね。
もう充分困らせてることは自覚しておりますが。
だから、頑張ろう、頑張ろうね。
“どんな時にも笑顔を”、よくタレントの本に出てくる言葉です。
以前は、とてもくさいセリフだとしか、感じてませんでしたが、この頃、ちょっと違う角度から、これは大事なことだと認識するようになりました。
自ら微笑んでいる時には、よくまわりから、不意にご好意や、助けを受けるのです、見ず知らずの方から。
笑顔のない時に、不愉快な出来事がおきます。
ということは、自分の発してる“気”が、それに相応しいものを呼んでいることだと、そういうことになります。
結局、自分がまわりを決めます。
そういうことになります。
どんな時にも笑顔を。
あいだみつをっぽいだが、一つ深い真理を語っているのかもしれません。
わたしは、笑顔でレストランに向かいました。
温泉は、薄茶色の薄濁り湯で、滑らかでいい湯です。
しかし軽井沢ならではの宿ですね〜。
洋風の部屋、ベッドにソファ、広い窓に床に着くカーテン。
中庭は小さい噴水、クリスマスイルミネーションかと思われる飾り、ピアノのあるレストラン。
わたしの頭の中にある温泉宿は、別ものなんですけどね。
古びた和室、障子にたたみ、
座布団に腰をおろしたら、テーブルにはお茶のセットと湯呑み。
廊下に漂うのは、ビーフステーキの香りではなく、焼いた干物の匂い。
だるそうな浴衣の後ろ姿に、カランコロンの下駄の音。
日本の美は、わびさび。
侘・寂 が奥ゆかしい。
わびさびに落ち着くのだが、
華やか、賑やかには、却ってむなしくなります。
まだ紫陽花が咲いてるのは、驚きました。