晩秋
おととい、Kちゃんとお食事をする時に、
ふみはKちゃんが手首に付けているお数珠が気になって、
Kちゃんはそれを外してふみに渡し、
「これは陸前高田の松で出来てるんだよ」
「あの一本松?ぼくたちも見に行った」
「あの一本松じゃないけど、そこの松、津波で全部ダメになって」
「なんで3・11って書いてるの?」
「3・11はなんの日って、知ってる?」
「津波が来た日?」
「津波が来た日」
「なんでここに掘ってるの?3・11って」
「忘れないようにって」
「忘れたくないの?」
「忘れないように、忘れちゃダメだからね」
「忘れたくないの?」
ふみは、“忘れたくないの?”と、何回も確認するように聞きました。
すぐわかりました。ふみの中では、“忘れたい”のが当たり前と思っているのですから。
嫌なこと、嫌な思い、ふみは、見たくない、あったら忘れたい、タイプなんです。
どんなことでも、いいように、いいように解釈しますし、ちょっとでも、かわいそうな映画や物語なら、見ないように、なかったかのように。
ふみはさておき、どっちがいいんでしょうねって、いつも思うわたしです。
どうにもならないことなら、なかったかのようにする、どうでしょうね〜
わからないや〜
夜、ふみに、「ふみはツナミのこと、忘れたいでしょう」と言ったら。
「いや、忘れたいと言ってない。う…ん、28パーセント覚えればいいんじゃない?」とふみが。
なに、その中途半端な数字は。