蓮
蓮の季節になりました。
「出淤泥而不染,濯清漣而不妖」
宋朝の周敦頤の《愛蓮説》の言葉だ。
小津監督は、
泥中の蓮。この泥も現実だ。そして蓮も、やはり現実なんです、そして泥は汚いけれど蓮は美しい、だけどこの蓮も、やはり根は泥中にある……私はこの場合、泥土と蓮の根を描いて蓮を表す方法もあると思います、しかし逆にいって蓮を描いて 泥土と根を知らせる方法もあると思うんです。
とエッセイに書いてあります。
蓮の美しさは、浮世離れの美しさ。
泥なんて、気にしたことがない。
“土”と“泥”、やはりイメージ相当違うってことでしょうかね。水分の差だけなのに。
それとも、あんな美しき蓮、できれば沢水から生まれてほしかった、とのことかしら。
アイドルはトイレなんぞ行くわけがない、みたいな。
ま、いいけど。
蓮の季節がやってきたことは、嬉しいことだ。
昨日から、わたしは、お腹がよじれるほど、笑って、笑った。
理由は、NNM議員の号泣会見だ。
YouTubeで、その会見を何回も見て、笑って。
これが一般の人なら、わたしは笑えないし、そもそも見ようと思わない。
議員! 選挙で勝ち抜き、当選し、市民の代表として、公人になった人が!
おかしくておかしくて。
ふみも大受け「さむらこうじまもるよりひどいね」と。
さむらこうじまもる、よくフルネイムで覚えて。
「あの頭を壁にがんがんやって、でも実際は聞こえる見える人でしょう?」とふみ。
そうなんだけど。
しかし、ついこの前、クラスでは、“スタップ細胞、ありま〜す”って流行ってたらしいけど、
今度は、この「あ"はー」の号泣が流行るのかしらね。
困ったもんだわ。
末世といっていいかな、いいと思う。
夕方、ふみとサックスのレッスンへ。
サックスのネックを持って、リードを舐めて、湿らせて、セットしながら、ふみは、さりげなくM先生に、
「先生は、×××議員の会見、見ましたか」と。
「×××議員? あぁ〜、あのみっともないの、あんなのみっともないよな、あんな大人にはなりたくないよな、あれはひどい、あははは、しかしふみくん、それを見てたの?さすがだね」
すみません。でも思い出すだけで、吹き出しそう。
今日のレッスン、ふみは上手でした。
先生とお別れのご挨拶も、きれいだった。