花は花は花は咲く

食虫植物、咲いたよ〜
朝晩二回水をやって、陽当たりのよい場所を置き、ただそれだけなのに、ちゃんと咲いてくれるのね。


しかし食虫植物のお花って、こんな可憐な感じなんですね。
もっと鮮やかで、毒々しい、できればフラメンコを踊りながら。

ギャップに感心するばかりのわたし。



朝、うちに出ようとすると、ふみ、またやることを思い出すのです。

なんでこんな必至のパターンになったのだろうか。

あれだけ訴えて訴えて、わたしはこの暑さの中、小走りに行くのは、体に害を生じることを、あれだけ訴えて訴えて、全部無駄になったみたいで、落胆して。


「そうだ、今日は、ゴジラの玩具を持って行くから、連絡帳に書いて」


連絡帳に?書く?どこにその時間があるのよ。


そういう自分を押さえて、押さえて、また学童へ持って行く手提げを下ろし、連絡袋を取りだし、開けて、連絡帳を出して、“今日は、ゴジラの玩具を持って行きますので、よろしくお願いいたします”と書いて、署名して。

連絡帳を連絡袋に入れ、連絡袋を手提げに入れ、時間が…。

やっと靴を履こうとするふみが、「××××××も書いたよね、それも持って行くから」

?!!

聞いたこともないし、すらすらと書けそうもない そのカタカナだらけの玩具の名前を聞いて、一瞬めまいを覚えて。


「さっきゴジラしか言ってないよ、ふみ、お願いだから、もう時間が…」

ふみ、すぐ泣き出しそうな顔を見せて。

……。

神様、わたしに、落ち着きを保つ力をください。

(+_+)



今日は曇り、久しぶりにジリジリの日差しがなく、灰色の空の下に、やはり日傘をさして仕事へ向かう。



あと何十年が過ぎ、わたしがおばあちゃんになり、大人のふみに、「…そうなのよ、朝出ようとすると、もうあなたはこうとか、ああとか、必ず言い出して、お母さんを困らせて、ハハハハ」と、 笑って語ることがあるでしょう。

その時は、8歳のふみの日焼けした頬っぺた、額のきらきらの汗、泣きそうな顔、ゴジラと、あの言えそうにない長いカタカナの玩具の名前まで、懐かしくて
いとおしくて、たまらないのでしょう。

同時に、一々“苦しんでる”わたしに、笑みを浮かぶのでしょう。

「どうでもいいことなのにね、お母さんはあの時は、もっと気持ちのゆとりがあればね、ハハハハ」




愛は忍耐強い。
愛は情け深い。
妬まない。
愛は自慢せず、高ぶらない。
礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える 。


ーー聖書のお言葉です。

小さい時に観たある台湾のドラマに、この歌詞の讃美歌が、よくドラマに流れてました。
主人公の歳のとった品の良いお母様が、よくカセットで聞いてました。

ドラマの主題歌でもなければ、ストーリとも関係なく、
だけどその軽快なメロディに、脳裏に刻まれて。

愛への解釈、冒頭に、“忍耐”ですもんね。
愛があれば、忍耐できるってことでしょうね。


忍耐、忍耐、辛抱、辛抱。



今日は、雨が時折ぱらついて。むしむしして。
けど、31度、こんなにも違うんですね。


ありがたいわ。


夕方、ふみとサックスのレッスンへ。


吹いてる単純なメロディを、カセットデッキで伴奏を流そうと、先生はメモリカードを入れるが、なかなか操作により、音程が定まらず、ドタバタ。

傍のふみが、「いったい何をしようとしてるんですか?」と、

「ハハハハ、なにをしてるんだろうね、こりゃダメだ」と、先生はメモリカードをエレクトーンに差して、解決。

そろそろ、曲の練習を始めると先生がおっしゃって。