お茶 おでん

ふみと渋谷のBunkamuraに、
騙し絵展を観に行きました。


なかなか面白いです、奇想天外な作品が多く、ふみも大いに楽しんだようです。


渋谷は、特にハチ公側、ほんとうに久しぶりです。
相変わらず混雑して、四方八方から来て、四方八方へ行く。
Bunkamuraへじゃない限り、この辺には、まず来ないわ。



お昼の時間だけど、ここじゃ落ち着かないから、戻って、最寄りの駅の駅ビルのお寿司屋さんにしました。

ランチ時間帯のメニューを頼み、お寿司が大好きなふみ、

まだ〜?

お店側は、わたしにお茶、子供のふみに氷水を。


ただでさえ、わたしはお食事に氷水なんて、大反対。養生学と真逆で、ましてやお寿司のような生ものを食べた時に。


お店の湯呑み、とても大きくて、深くて、お茶がいっぱい入ってるので、ふみと一緒に飲むことに。

お茶はとっても濃い緑の割りに、味が薄くて。
ここまで濃い緑のお抹茶なら、苦くてもおかしくないのに。


二人で飲むと、お茶もどんどん減り、残り3分の1の湯呑みの底に、ビニール袋のような欠片(結構大きい)、現れました。

へぇ〜〜 ちょっとあり得ないじゃないかしら。

店員さんを呼んで、湯呑みを見せ、

「すみません」と湯呑みを持って去り、
すぐまた「すみません」と言って、新しい湯呑のお茶を持って来ました。

どっちも声はとっても小さく、できるだけ回りのお客に気づかないようにしたいのが、伝わります。


同じく濃い緑のお茶、もう何も飲む気がなく、伝票を持って、ふみとレジへ。

男の人がレジにいて、やはり小さい声で、謝りました。
それから、「今日のお代は、いいです」と。

それは結構です、お寿司はいただきましたから。
お気持ちはわかりました。


お代を支払って、お店を後にして、

ふみ、「お代はいいって言ったのに、ママは払ったね、お茶にゴミが入ってるのに、ああ〜、ぼく、氷水でよかったのに」

「でも、お寿司はいただいたから」

「ぼくなら、“あそうですか”って出てくるよ、払わなくていいのに、向こうも言ってるから」

「向こうはママと関係ないから、ママはご飯を食べて、お金を払う、ゴミがご飯に入ってたわけでもないし。それに、とにかく早く出たかった。謝る顔も、謝らない顔も、どっちも見たくないから」

「ふんん、ぼくなら、お金を払いたくないよ、ゴミのお茶を飲ませる店」

「とにかく早くその場に離れることと思って。ママ、そこには、もう、ないだろうね」

「なんで?お寿司は美味しいのに」


ふみに、“一葉知秋”との四文字熟語を教える。

お茶にゴミ、ということを通して、この店の本質を知らないと、この見た目はきれいなお店の厨房の様子を想像つかないと。

懲りずにまた利用するのは、愚かなんだ。


一枚の葉っぱを通して、秋を知る、のように。





夕方、パパは振替のスイミングへ。

ふみ、やっと夏休みの宿題の読書感想文を書き出す(他のは完成)、落語のことを書くと。


せっかくやる気になっているのに、ポリーが邪魔をしに。

「おでん、おでん」とふみ。

ずっと前から、ワケわからなくこの“おでん”をポリーに覚えさせようとするふみ、
一向に覚えようとしないポリー。

今日も明らかに首を傾げてたのに、ふみやはり懸命に、「おでん、おでん」。


なんで言ってくれないの?おでん。