Tさん

今日も同じく、小雨でひんやりするお天気です。


室内では、やはりまだ蒸し暑さが残っていて、郵便局も銀行も、空調が効いています。




絵の表装(骨董?画商?)との職業のTさんに、久しぶりにお会いしたら、第一声は「あなた、ちょっと太ったね、ほんとうに、太ったでしょう?自分もわかるでしょう?どうしたのよ」と。


「…!」

他の方は、「いや、そんなことないじゃない?」と。
お優しい気遣いかしら。


Tさん、「やややや、わかるよ、ちょっと太ったね」


反論は言えず、だって、心当り、あるもの、大いにあるわ。


原因も明白であります。

猛暑のこの1ヶ月、あまり外で歩いてないです。
つまり、運動はしていないです。

あとは、果物をばかり食べるから、糖分はバカにならないことです。


わかってます、わかってますけど、行動に移らないわたしがいて、
今日、Tさんに言われて、わァ〜、もう手を打たないと。


そして、Tさんに感謝。
率直に指摘してくれて。


少し前まで、わたしは、Tさん含め、何人かの方と、Sさんのうちで、一緒にご飯を作ったり、お茶を習ったり、未亡人の品のよいSさんと、Tさんのコントのような口喧嘩に笑ったり。
ほんとうに楽しかったです。


TさんがSさんのことを秘かに慕っていることは、わかります。Sさんは、ずっとTさんの届かない距離を保っていることも。



今は、Wさんはガンでお亡くなり、Mさんも持病で具合が悪い、あんなに仲のよいTさんと未亡人のSさんは、交際が絶たれ…。


歳月って、静かに流れながら、数々のドラマを見せてくれていました。


今やTさんとは、会うと冗談ばかりに、真面目な会話はいつの間にか消えて。なんでかしら。

Tさんとの最後の真剣な会話は、Sさんへの想いを語ってくれたことでした。

「今でも時々車をSさんのマンションの下に止めて、もしSさんをたまたま出てきたら、“やぁ、Sさん、元気”って、何事もないように話をかけたり、なんてね、なにを考えてるのだろう、俺、でもな、しょっちゅう喧嘩してただろう、いろんな考えが合わなくて、今やその喧嘩も懐かしくてね」


Tさんの気持ちを感じながら、慰めるもなにもできない自分の無力を感じました。
Tさんとは、年齢がかなり離れてますから。


その後、確かに“救い”についてる話し、
「Tさん、結局自分を救ってくれるのは、自分の行いですね」

「ほぉ、いいこと言うね、あなたは」

その真剣な話のあと、今は、もう冗談しかなくて。


Tさん、もう初老も過ぎてしまいましたもんね。相変わらずおしゃれで、飄々としてらっしゃる。


今日は、警鐘を鳴らしてくれることに、わたしはほんとうにありがたく思います。


わたし、がんばるわ。



今日の帯留め、月夜の猫ちゃん。