肩を
彼岸花がそろそろ咲きますね〜
季節はめぐりめぐり。あと一週間で秋彼岸ですね。
今年は、ほぼ残暑がない年でした、9月に入ると、一気に秋らしくなって。
知人は、こんな夏の終わり方が、やはり寂しいとおっしゃるのです。
わたしには、秋が風情があって、そしてなんとなく哀愁が漂う、だから美しく思います。
明け方、雨の音で目覚めて、ベランダに出たら、空はそれほど暗くなく、すぐ上がる雨なんでしょう。
昨日もこんな雨でした。
爽やかな秋風、朝晩のひんやりした空気。
ベランダから戻り、首と肩と背中が、鋭い痛みが走り、そのまましばらく動けなくなりました。
いつだったか、こんな痛みがありました。
薬を塗って、ゆっくり、なんとか動けて。
昨日の出来事、やはりわたしには強いストレスになったのでしょう。
パパは、気にしすぎと、
「普段別に注意していないじゃないし、注意してるんだから、仕方がないじゃない」
そうは言っても、毎回言われるのは、毎回目撃してるのは、わたしですから。
子供、ましてや小学生、躾が身に付けていないのは、もう完全に親の責任、ほかにないじゃありませんか。
よく言うように、子供が歩いてるのは、親の教養が歩いてると同じこと。
ノックをしないで部屋に入るのは、親の躾が足りないと同じこと。
だからわたしは、昨日のサックスの先生が、ふみを注意していることは、完全にわたしに向かって注意しているのと、なんの変わりもないです。
例えば練習が足りないとか、うまくできていないとか、こういった指摘は、わたしは自分に当てはまったりはしませんが、
お行儀、礼儀、不躾、百パーセント親の責任。
お行儀、礼儀の面、なにより大事です、わたしはそう思っています。だから目の前に指摘されるのは、「あなたは無礼なヤツだ」と聞こえてならないです。
パパがお仕事に行き、朝食のお皿たちを下げようと、急にいろいろ思って、涙が止まらなくなりました。
ふみは「洗ってあげようか」と、お皿やカップたち、黙って洗いはじめて、
涙、止まるところか、泣き声も押さえきれなくなりました。
いろんなたいへんな思い、昨日の悔しい、いいえ、屈辱的な思い、
「ふみ、お願いだから、礼儀だけは、きちんとして。お友達同士でも、ましてや先生に、馴れ馴れしく、ましてや図々しくなった途端、もうおしまいですから、その時点、もう終わりに向かうから…、もう、ママを悲しませないで、悲しませないで…」
「もう、わかったから、わかったから、肩、まだ痛い?揉んであげようか」、ふみ、肩を揉んでくれて。
また違う気持ちの涙が止まらなくて。
ふみの髪がだいぶ伸びて、今日は、連れて美容室に行きました。
きれいにカットしてもらって、見るほうも、さっぱりした気持ちです。