ひととき

白秋の《思ひ出》を読んで、
今日、Kさんに、「北原白秋の詩、どうです?わたしは白秋の感性に、どうもついていけないというか、共鳴できないというか」といったら、

Kさんも同感。


話しは上田敏の訳した詩になり、Kさんは、暗記している、上田敏が訳した「落葉」を、すらすらと口にして、
格好いい〜

落葉(らくよう)

秋の日の
ヴィオロン
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し

鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや

げにわれは
うらぶれて
ここかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉(おちば)かな


みんなは、“ヴィオロン”がいい、“バイオリン”よりいい、と話して、



Yさんは、うろ覚えの《猫》を口にして、「わー、わー、こんばんは」と、
わたしとKさんは、おお受け。


主人は、「あー、萩原朔太郎の“猫”ですね」



まっくろけの猫が二疋、

なやましいよるの家根のうへで、

ぴんとたてた尻尾のさきから、
絲のやうなみかづきがかすんでゐる。

『おわあ、こんばんは』

『おわあ、こんばんは』

『おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ』

『おわああ、ここの家の主人は病氣です』


(^^)

強烈で、忘れられないわ。

Kさんと、「最後の“この家の主人は病気です”は、どういうわけでしょう」と、笑って、

Yさんは、萩原は、病気を患ってたから、とおっしゃって。


なるほど。
しかし、おわあ、おわあ、は、強烈だわ。




今日の帯。



今日の爪。




今日の幸せな一時。