牡丹柄
朝、ふみは自分でお茶漬けにして食べると。
途中、やっぱりパンにする、と。
なぜかと言うと、沸かせたお湯が少ないから、あっという間全部ご飯に吸いとった、と。
もっとお湯を沸かせばと言ったら、
面倒だ、と。
出たー、その口癖のようの、“面倒”。
横になっているわたしは、お腹が空かないというか、まったく食欲がなくて。
でも食べないとね、ちょっとでも。
起きて、冷蔵庫にある煮たカボチャを出して、牛乳とミッキサーにかけて、飲んでしまおうと、
ミッキサーに牛乳を入れて途端、ジャーと、ミッキサーの台座の部分から牛乳が溢れ出したのです、あたり白くなって、
「ふみ、昨日、ふみが片付けたでしょう、ちゃんと閉めてなかったでしょう」
「うん、わかった。牛乳、買って来るよ」
「そういう問題じゃないでしょう、なんでも“面倒”“面倒”って、ちゃんとやらないから、でも結局もっと面倒なことになるって、いつも言ってるのに…」
自分の耳にもタコができるぐらいだわ。
お昼ご飯として、ふみはコンビニから、おにぎり、パンを買って来ました。
牛乳と新聞も。
わたしは午前中、ずっと眠ってました。
ふみは、作文など宿題を終わらせ、ずっとウルトラマンのDVDを観賞。
ちなみに作文は、お皿や、茶碗など、洗ったとのことを。
よくもまー、こんな当たり前のことを、作文まで引っ張ったね。
ウルトラマンは、しばらくもう興味がなくなったが、また再びブームが始まったようで。
「ママ、ママ」とのふみの呼び掛けに、浅い眠りから目が覚め、「おにぎり食べたら?もう1時過ぎてるよ」とふみが。
ほんとうだわ、もうこんな時間。
「ぼくは支援センターに行くから、4時半に帰って来るよ、あっ、このメロンパン、持って行くね、3時のおやつ」
メロンパン、わたしが食べたいから、頼んで買ってきたのに。
結局昨日食べたいたい焼き、今日食べたいメロンパン、どっちも食べられないってことね。病人なのに。
知人のKさんは、以前、児童教育に関わっていて、そのKさんがわたしに、
子供(小さい子)は親を配慮したり、気配りしたりするのは、親がそれなりにその子に対して、圧力や、疎外感を与えてることの現しだと、
親に遠慮も配慮もないのは、愛情いっぱい受けてる、しかもそれは当たり前だ思っているとの親子関係、正常な関係だと。
「ふみくんみたいな年齢で、親のことを配慮したりするなら、それはちょっと問題だね、不自然というか」
そうですか。
小さい時から、親にずっと遠慮があるわたしは…、ま、いいけど。
ベランダの勿忘草、水をやってないから、萎れて、慌てていっぱい水を。
ジョウロ、重いのに。
それにしても今日はいいお天気ですこと。
牡丹柄の帯を締めて、鎌倉へ出掛る、との予定だったのにな〜