今年も残り半月

店頭でこのスノードームを見つけて、電気で回って、雪が舞うらしい。
ヨーロッパの雑貨で、欲しくなったが、ま、やめました。


金曜夕方、ふみの担任のN先生から電話がかかってきて、
今日の体育、ふざけないでと言ってるのに、何人かの、男の子、走り回ってふざける。
ふみくんは中の一人、
その何人かを立たせて、反省できる人は戻っていいと言ったら、みんなは、自分のどこかが悪かったとちゃんと言えて、続けて体育に参加できたが、
ふみくんだけ、反省の言葉がない、なので一時間、ずっと立たせた。

給食の時、大きい声で喋るから、私はまたふみくんに怒った、

実はほぼ毎日ふみくんに怒ってる、言うこと聞かないから。

ふみくんね、お母さんが大好きみたいで、なのでふみくんに怒る時、私はみんなの前に「全部あなたのお母さんが悪い!お母さんが悪いからふみくんはこうするのよ、今度先生はお母さんに怒る!」と言うと、一番効く、やっぱりふみくんはお母さんが大好きだからね、ハハハ。

N先生はちょっと得意そうにおっしゃって。

……。

この20代後半の女性先生、一生懸命は一生懸命、ご自分の最善のやり方だと思ってるでしょうね。

これはこの先生の限界、もう、一生そのレベルから抜け出せないだろうと思いました。

わたしは、ふみのふざけること、言うこと聞かないこと、謝りました。

体育でふざけるのは、ケガに繋がるから、どうぞ怒ってやってください、
とか、適当なことを言いました。

N先生、喜んでました。




もう、どうしようもないですね。
なんだか、哀れで。
“あなたのお母さんが悪いからあなたが…”との“効く方法”を見つかるN先生のことが、哀れで仕方がないです。

幸い、別にふみはそれで学校が嫌いになったわけじゃないから、勉強勉強と言わない公立学校、いっぱい遊べる、学校が大好き、お友達が大好き。


ほぼ毎週作文があります。
少し前、兵馬傭を見てきたふみは、兵馬傭展を作文に書きました。

青銅器のこととか。


その時のN先生の作文帳に書いたコメントは、


前前からこの先生の作文帳へのコメントが気になって、言葉遣いの指導とか、文法や手法への批評とか、皆無。
なんだか小学生同士の薄っぺらな会話のようで。


この兵馬傭のコメント、その頂点だわ。

もう、公立の学校は、ごめんだと強く思いました。

学費を払わないから、文句言う立場じゃない、とわたしは思うので、先生への意見など、一切言ったことがありません。

そもそも、勉強を全部公立学校に頼るなんて、思ってませんから。

集団的生活から学ぶ社会のルール、地元のお友達がいっぱいできる、
これでもう充分満足です。



ふみに、体育の授業中、ふざけることは許されることじゃないから、と説教してから、

「ふみ、反省したお友達はみんな体育に参加できたのに、ふみだけ反省しない、なんで?」

「え?あははは、言うの忘れたよ」

「一時間ずっと一人で端っこに立ってたの?つらくないの?反省した方がよっぽどラクだと思うけど」


「全然、Rくんが見学だから、ずっとRくんとお喋りしてたから、楽しかったよ」

肺炎になったRくん、やっと復帰して、まだ体育に参加する体調になっていない。


「ふみ、毎日先生に怒られてる?先生はそうおっしゃってたよ」

「毎日?うん、毎日かも」

「金曜日だって、午前の体育に怒られて、給食の時にまた怒られたって?もう、どうなってるの?大丈夫なの?」

「あ〜給食ね、確かに確かに、なんか、大声で喋るからって、ぼくはそういうつもりじゃないけど、普通の声だけだけどね」


「…もう少しで10歳よ、落着きがないと困るよ。先生は、“ふみくんまったく自分をコントロールできない”とおっしゃってるよ」

「う…ん、コントロールできないじゃなくてね、まだ4年生だから、暴れないと、ぼく、5年生からおとなしくするつもりなんだ、受験とか、頑張ってやるよ。暴れる最後のチャンスだからさ、あの先生、毎日怒ってるから、しょうがないよ」


(-_-)

「でもママまで言われてるじゃない、でもそれはほんとにいけないね、先生の言うべきことじゃないと思うけどね〜」

「でしょう?卑怯だよ、“ちょっちょっちょ、親は関係ないだろ!”」とふみは手首を動かし、手を上下にさせて。



ふみは、塾のT先生をとても好きなようです。
厳しいけど、面白くて、それになにより、国際情勢や政治の話しもしてくれて、
この前、スーパーで、ふみが「フィリピン産のバナナを買おうね」と、

なぜと聞くと、

「T先生がね、話してた、中国が、海洋領土でフィリピンと衝突してる、でね、中国が、フィリピンのバナナを買わないことにして、フィリピン、困ってるの。だから…」


“ふみくんのお母さんが悪いから…”という先生のこと、今時、校長先生に苦情を言うべきでしょうけど、
けど、その先生、なにも変わらないでしょうね。
ずっとそういうレベルから出られないでしょうね。

なので、わたしは今まで通り、なにも言うつもりありません。
ふみさえ苦痛と感じていなければ、
どうも、さほど苦痛ではないようですし。いろんな人間がいること、勉強したことでしょう。


ちなみにふみ、全員の前に、“坐禅”をさせられたこともあるそうです。

坐禅ね〜、いいことですけどね〜


あ〜、どうなってるのかね(+_+)