彼岸入り

ヨガの先生、4月で満80歳だそうです。

古い生徒さんたちは、傘寿を祝うことを企画してます。
ただの9年目の生徒のわたしは、新米です。皆様は何十年も先生についてヨガの精進をなさってる方ばかりで。

お食事会も考えたらしいですけど、なにしろ先生は果物やお豆しか召し上がらない、窮極なベジタリアンですから。

着るものだって、簡単最小限のです。

最後、皆さんからお金(金額は気持ち)を集めて、お祝い金を差し上げることに決めました。


しかし先生は、もう80なんですね。
2年前から、自転車をおやめになって、地下鉄になりました。耳が若干遠くなったため、危険になったからです。


いつも静かで、穏やかで、寡黙な先生。日本語はまったくな不充分ですが、先生のヨガは、言葉が要らないものです。

口で教えているより、一挙手一投足、生き様そのもの、なによりの教えです。


ご長男を亡くされたときも、どんなときも、先生は、なんのかわりもなく、教室に行く階段を雑巾でピカピカ磨き、トイレをピカピカと磨き、日頃の目の前のやるべきことを、こつこつ、一つ一つ。


相変わらず、北欧生まれ育ちのヨガの先生は、わたしは聖人だと思っております。


あと二十年も三十年も、先生にヨガを習いたいのです。

その後、わたしはどうするのでしょう。
どこかの教室に入り、ペラペラ喋ってる人に、ヨガを習うのかな。できるかな。



絵皿の刺繍、もう少し進みました。