疑問
休日なのに、寝坊するのもできず、バタバタして、ふみと駅へ向かう。
もうK君とS君が待っていました。U君は来られないと。
S君「地下鉄でいく?自転車じゃねぇの?ま、別にいいけど、俺、スイカもってるし」
保護者だから、子供たちをリードしないといけないと思いきや、完全に無視されてるではないか!
わたし、もうそのなんとかカードをもらうのに必要な道具に過ぎないって感じ。
ひゃ〜 もう、10歳の男の子たちの後ろに付いて小走りするのが精いっぱい。
開店前の扉に、一番に並んだ。
笑うわ、喋るわ、動くわ、言葉、わたしが聞き取れない(というか、わからない)のもいっぱい。
やっと開店、もうダッシュ。
念願のカード、手に入れた。
さっそくK君は坐ってゲームを始める。
ちょっとちょっと、約束が違うじゃない、カードをもらうだけのはずよ。
違うレジに、違うキャラクターのゲームの発売日で、大行列。
一人中年男性がK君に近づいて、「あのさ、あのカード、小学生しかもらえないから、おじさんじゃもらえないから、もらってくれる?小学生にだけでしょう、おじさんじゃ…」と、ヒソヒソ、しつこく、
Kくん、黙ってカバンを下して、もう一回並んで、もらったカードを中年男性に渡した。
「ありがとう、ありがとうね」と男性は走ってエレベーターへ。
わたしはふみに「へ〜、もう一枚もらえるんだ、じゃ、ふみもU君のためもらって来たら?」
ふみ「ダメだよ!一人一枚だよ!」
K君「あのおじさん、嫌な感じだった」
ふみ「Kは強いから、ぼこぼこにすりゃいいのに、あははは」
K君「あははは」
わたしは勇気をだして「あの、もう時間が、そろそろ、あと一回で…」
誰からの返事もないや。
返事はないが、聞いてはいるみたいで、K君、1ゲームが終わって、カバンを片づけた。のほほんのS君もおしまいにして。
やれやれ。一応聞いていることは聞いているのね。
伊勢丹地下のジェラート屋さんで、三人をおごろうと思ったら、伊勢丹は開店前でした。
そのまま地下鉄に乗って、駅の隣のコンビニで、アイスを。
二人はちょっと遠慮はしたけど、「好きなのを選んでくださいね」と言ったら、選びました。
無事に帰ってきて、何よりだわ!
ほっとした〜
ああ〜、無力なわたし。
ご飯を作るのも間に合わないから、お弁当を買って、帰って来て、食べて、ふみとまた出かけて。
ふみは塾へ、テストの時間はまだだけど、ちょっと勉強して来ると。
わたしは、校外委員の集まりへ。
ドリングバーを頼んで、4人で、ラジオ体操の参加賞と皆勤賞の商品を決めて、ボウリング大会のお弁当を決めて、映画券の購入、配り、などなど、
意見がまとまらない時もあって(わたしは基本的ほとんど意見なし)、
Yさんが「それぞれ意見が違うのも当たり前、逆みんな意見が同じのがおかしいものですから、この場合、やりやすい順で決めません?」
ほんとう、十人十色。真逆な考えを持ったりしますからね。
その後は雑談、学校のいろいろ聞かされて、よかったです。びっくりのも。
本当にいろいろありますね、人間社会って、面倒っていえば面倒だわ。
午前、3人の男の子を連れて出かけ、まったく無視されて、と、わたしが話したら、
Bさんが「うっそー、まだ5年でしょう?ダメだよママは、私なんか、6年生の男の子、何人でも、ちゃんと言うことを聞いてもらうのるよ、“ハイハイ、みんな〜、約束は守りましょうね〜”“あれ?×君、ご挨拶は?言ったっけ”って、みんなちゃんと聞いてるよ…」
ヤハハハ、わたくし、やはりダメだわ、完全になめられてる!ビシバシ言わないと!
でも男の子たち、つい3年生ぐらいまで、かわいかったのにね、そのとき、学校に行くと、「ふみくんのママ」って寄ってきたり、なによ、5年生になったら、生意気になって。
ふみのテスト、ずいぶんと時間がかかって、5時すぎに帰ってきました。答え合わせをしてたって。
偏差値を10点も落ちた前回より、5点ぐらいは回復できそう、とふみは。
5点かー。
夜、宿題をやっているふみは急に、
「っていうか、いいことをしたら、必ずいい結果に結びつくから、だからいいことしなさいって、言うじゃん?あれって、本当かな、いいことして、意味あんのかな、利益になることならわかるけど、利益にもならないことって、意味あんのかな」
(+o+)!
「ふみ、それが価値観っていうことだよ。基本の価値観が合わない人は、一緒にいるのは、苦痛になるよ。それについて考えてるんだ。すごいね。
確かに、世の中は、何をしても、まず利益というか、損得を計算して、損得で全てを決める人、大勢いる。パパママは違うから。そういう損得の計算は、パパもママもできない、しない、だから価値観はぶつからない、だからこうやって一緒に暮らしていられるの。
パパのパパママも、ママのパパママも、同じく、利益や損得ばかりとの生き方じゃないから、だから親戚になれるの。
ふみは、ここに生まれたんだから、成人するまで、パパママの価値観を従わないといけないの、成人してから、利益とか、ま、人はそれぞれだから、しょうがない、残念に思うけど、しょうがないだから、いくら親子でも。
だけど、成人まで、ほかのことはともかく、こんな基本の価値観は、この家のを従うしかないの。
パパママは、利益や損得を計算しながらの生き方はできない、それは誇りに思って、胸を張って言える。
ふみにわかりやすく言うと、例えば人に何かを差し上げるとき、“あ、この人、いつか役にたつかもしれない、だからあげよう”なんて、思ったことがない、わかるよね?一々損得の計算してないし、そうする人とは、付き合わない。ふみは例え今まだ理解できなくでも、とにかくこれだけは従え。
この家は、損得勘定する人を、軽蔑してる。わたしたちの生き方にはふさわしくないから……」
「あと、人のために、というか、命を惜しまず人を助けるとか、僕はできないね、自分の命が一番だろう、どう考えても」とふみ。
「それね、ママもびっくりしてた、ふみの話しとちょっと違うけど。ママね、十何年間受けた教育の一つは、人の助けるために命を惜しまず、教科書にそういう内容ばかり、こども向きの本にでも、そういう例ばかり。こどもたちは、心からそういう自分の命を人を助けるために捧げたような人を感動して、尊敬して、いつか必要な時自分たちもそうするんだって、迷いなく思ってたの。けど、日本に来て、そういう教育していないことに、びっくりして。この問題は一概に言えない。たとえば線路に落ちる人を助ける、たまたまラグビ選手なら、したほうがいいでしょうし、そんな身体能力もない人がむやみに人を助けようと、最悪二人ともダメになる。それは瞬時に判断をして……。余談だけど、津波のとき、助けてって、手を伸ばした人を、助けてあげられなかった人は、その後、その浪に呑まれて、いなくなった顔は、何回も何回も頭に浮かぶらしいよ、夜眠れないほど。らしいよ。」
ふみとこういう話をするのは、全然嫌いじゃない。日に日にふみのこころの成長も感じるようになって、感慨深いものです。