亀吉

パパのマフラー、だいぶ長くなりました。

これを編み終わりましたら、自分の小さい襟巻きを編もうかな、今度はかぎ針で。



ボクシングから帰ってきたふみは玄関に立ったまま、「ジョウロちょうだい、早く」と言って、
「ジョウロ?なに、藪から棒に」
「そう、ジョウロジョウロ」
「どうして?」
「ジョウロに水を入れてちょうだい、早く。カメがいる、干からびそうだから、早く」
「カメ?!カメって…、どこに?!」
「駐車場」と言って、ふみはジョウロを持って出て行きました。

駐車場に亀?そんなわけないでしょう、小型の乗用車ではなくて?

それから、まてど暮らせと、日が暮れても、ふみは帰って来ないのです。


あっ、カメって言ってましたね、あの動物の亀?
まさか、亀に連れられて竜宮城へ?

ぎゃ!ふみが竜宮城から帰ってきたらわたし、とうにこの世にいないじゃありませんか!

慌ててパパを頼んでふみを探しに。

パパと帰って来たふみは、公園の湧水のところにいたそうです。
「どう?」と、ふみは片手を上げて、ぎゃ!、手に持っているのは、本物の亀じゃありませんか!まさか本当に亀を連れて帰って来るとは!
連れて来ても、連れて行かれても、どっちも困るわ。

「かわいいだろう」とふみは手の甲羅を揺らす。甲羅しか見えないのです。亀の手足と頭としっぽ、全部甲羅に引っ込めています。

「だからそれ、なに?」

「亀よ」

「だからそれ、どうするの?」

「飼うの。ダメ?そこは“あら、そう〜”でしょうよ。かわいいだろう、そのままじゃかわいそうだよ」

「だから、それは、誰の?」

「あのおばあちゃんのだって」

「あのおばあちゃんって…」、まさか、あの孤独死された、同じ階のお婆ちゃんのこと?まあ〜、一瞬で鳥肌が立つわたしです。

話しを聞くと、あのおばあちゃん、身内がいらっしゃらなくて、部屋、片付けの業者さんが入って、ベランダに飼っている亀がいて、どういうわけか、下に落ちて、行方不明になったのです。

「貼り紙がありましてね」とパパが。
亀がこのへんに落ちてる、保護をよろしくお願いします。保護したら、このビラを外してください。との内容の貼紙だそうです。

「で、亀は、どうするのです?」

「とにかく餌を買いに行くよ、ふみと」
うちに適当の容器がなく、とりあえず、ダンボールにビニール袋を被って、水を張って、亀を入れて、
夕飯も食べず、パパはふみとペットショップへ出かけました。

えぇ〜、そんな〜

しゃがんで段ボールの中を見たら、亀、おとなしく、じーっとしているのです。お腹が空いたんでしょうね、だって、おばちゃんがお亡くなりになったのは、ほぼ二ヶ月前ですもの。


「お腹すいてる?」
「…」
「ね、あまり亀とかヘビとか人間とか、得意じゃないのよわたし」
「…」
「おばあちゃんに言われたの?あの男の子の前に現れたら、助けてもらえるよって」
「…」
「困ったな〜」

パパ、貼り紙を外したって言ってたから、それって、飼うことになったじゃないの。困ったわ〜

パパとふみが買ってきた亀用餌を食べて、亀さん、急に元気になって、手足をバタバタさせて、箱から出ようと、箱に沿って、ほぼ立っている姿勢です。
ビニール袋はカサカサ鳴るわ、水はパシャパシャ鳴るわ、困ったな〜

「暴れないでよ。そうやって逃げたザリガニ、まだうちのどこかにいるのよ、干からびたと思うけど。だからやめなさい。あ、おばあちゃんのところに行きたいの?ならいいけど、おばあちゃんを連れて来るのは、しなくていいからね、おばあちゃん、ゆっくりお休みしたいでしょうから」そう、きっとそうですから。


しかし、なんの御縁かしらね〜

初冬のある夕方、うちにやってきた、亀さん。

“亀吉”との名前をする、とふみが。