会話

Iさんに問いかけました
「時々、虚しいと言いましょうか、悲しいといいましょうか、感じていらっしゃいますか?私はあります。時々です。どうしようもなく。」

「そうだな、むなしいかぁ。う〜ん、この歳になると、ないなぁ。ないかな、うん、ないね、もう」


“この歳”というIさんは、70代後半です。


Ⅰさんはしばらく考え込んだ様子で、
「そうだな、若い頃はよくあったかな、そのむなしくなる時は。うん、人間はそもそも躁鬱系か、分裂系かなんですよ。や、これは本当。有名な医者って、あれっ?名前なんでしたっけ…、その医者が言ったんだよ。人間なら誰でもそうだよ。潜在的な躁鬱か分裂かって。うん、人間って、おもしろいもんですよ。たとえばね、肝臓悪い人は怒りっぽいってよく言うんでしょう、じゃ、その怒りっぽいって言うのは、その本人が本当にそうなのか、それとも肝臓がその人をそうさせてるのか。もっと言うと、その人は自分の主人なのか、ね?それとも肝臓に操られてるのか?ね?面白いでしょう、ははは…」


「Iさんは、いつ頃から訳のない虚しさが感じなくなったのでしょうか?」

「う〜ん、そうだな、言われてみると…、なんでしょうね…、うん、いろんな事に自分の感情を入れることがなくなってからですね。今の僕はどんなかわいそうなことや、悲しいことや、びっくりすることなどを聞いても、そうだな、口では“そりゃたいへんだな”、“かわいそうだな”と言うけど、実際心にはもうあまり影響をしないんだね。うん、ただ、そういうことだなって、それだけだね、自分の感情はもう入れないというか、自然に入れなくなってるな。」


そうですか。
そうすると、人間はココロがなくなると、だいぶラクなんでしょうね。
喜怒哀楽を感じてるうちに、人間は苦しいのでしょう。その正体不明の“ココロ”に操られるのでしょう。


「こころを殺すんじゃあないよ」Iさんはぼーっとしてしまった私に再び言う
「常に一歩下がって、自分から抜き出して自分を見るの。あら?こいつ怒ってるぞ、怒ってるな、ちょっとバカバカしいんじゃない?って、いつも自分が自分を客観的に見てみると、だいぶいいよ、怒ったり、悩んだりすること減るし、それにの対策も自然にでてくる」


バカバカしいかぁ、正体不明な何かに操れ、怒ったり、泣いたり、“自分”を演じる時、その正体不明の何かが、くすくす笑ってこの人生舞台を観ていて、楽しんでる。ってことかな。


繰り返しの闇の中、あとどれぐらい模索して光明だけの天地にたどり着くのでしょう。

その前に、ただただこの虚しさを味わうしかないのだろうか。