アイスクリーム

夏になると、近所にやって来るアイスクリーム屋さんは決まって一人のおばさんでした。

おばさんはメガネをかけていました。そのメガネはフチとツルのつながるところが折れたんでしょうか、分厚いテープが巻いてあります。そのせいでメガネはいつも斜めに鼻の少し上まで落ちてきて、テープはフチと同じく茶色っぽくなっています。


おばさんは自転車に乗って来ます。

白く塗ってある木の箱の中に、アイスが一本一本びっしり詰めてあって、その上に、普通の家庭用布団がかかっています。白い木の箱はとても大きくて、自転車の後ろの車輪の片側に縛られています。
おばさんは、体をアイスの箱と反対の方向に傾けて、雑技団の技のようにバランスを取りながら乗ります。

真夏の昼の静かな住宅区に
「ミルクアイス〜、一本四分。クリームアイス〜、一本一角…」(角と分は“元”の下のお金に単位)という枯れた声のメロディが響きます。

漢方医から冷たい食べ物を避けるようにと言われて、親にアイスを食べることを禁止されている私は、その売り声が聞こえてくると、すぐ窓際に行きます。
自転車から降りて、木蔭まで自転車を押して、両足をコンパスのようにしっかりと地面に挿しこんで、白い大きいアイスの木の箱を自分のお腹のあたりによりかからせて、一回、もう一回とその単調なメロディを叫ぶおばさんを、私はずっと眺めています。

おばさんの顔には、いつも汗が光っていました。乱れている髪も汗で額にピタッとくっついていて、爽やかな風に吹かれても、額の髪はまったく動きません。
夏といっても、高原の夏ですから、さほど暑くはないはずですが、やっぱりあんな大きい箱をしばりつけた自転車を動かすのは、相当たいへんだろうな、と窓のこっち側の私は思いました。


おばさんの声を聞いて、子供たちはアイスを買いに出てきます。あっという間おばさんは子供たちに囲まれます。子供から受け取ったお金を一枚一枚数え、大事にエプロンのポケットに仕舞い、そのポケットのファスナーをしっかり閉めてから、やっとおばさんは箱の布団をめくります。
「これはもう溶け始まってるんじゃないか、下から出してよ。下のと交換して!」男の子は強気でいいます。
「同じ同じ。溶けてなんかいないよ、よくみてよ、下のも同じ。…ちょっとあんた、勝手に取り出すんじゃない!」とおばさんは誰かの手を叩いてます。

こんな光景を眺めている私は、かつて食べたおばさんのアイスの味を一生懸命思い出そうとしているのです。同時に、あの足の悪い漢方医はなんであんなくだらない指示をだしたんだろう、なんで母親はそれに従うのだろうと、泣きたくなります。

ルクアイスをよばれているのは、わずかの牛乳が入っている白っぽい氷の固まりです。砂糖ではなく、安いサッカリンが入った、やたらと甘いものでした。
砂糖も牛乳も貴重な存在だったので、その味に子供たちは満足しています。おまけに四分という安さだから、ミルクアイスは一番の人気です。

製法技術の問題なのか、たまにサッカリンがうまく溶けずに固まっている部分があって、そこはまったく甘くないどころか、異様に苦いのです。
「ぺーっ、苦い苦い、交換交換!」と、そういう苦いのが当たった子は、おばさんの自転車を追っかけて叫びます。
止められたおばさんは仕方なく自転車から降りて、
「どれどれ?ちょっと貸して」と、その子からアイスを受け取って、少し舐めます。首を傾げて、全然わからないような顔で、おばさんはそのアイスを一口食べてしまいます。
「どこが!まったく苦くないじゃないか。あんた、半分も食べたから、苦いと言って、一本と交換したいだけだろう、前もやったんじゃないか」とおばさんは恐い顔していいます。
言われた子は悔しくて、そのアイスをそばにいる子に、
「食べてみて、本当に苦いよ」
口まで差し出されたアイスを、遠慮がちで小さく一口食べた子は、
「う〜ん、そうでもない…」
「ほら、坊や、ずるしちゃだめだよ、な?」とおばさんは嬉しそうに自転車に乗ると、騒いでいる子たちを背にして、全力に踏み出しました。
おばさんが辛そうにツバを飲んだ顔が、窓から見えました。アイスの苦いところを、おばさんは噛み落として食べたんだと私にはわかりました。

空はいつもより晴れて、太陽はいつもよりきらきらして、暑い日でした。
おばさんはアイス売りの単調な節をいくら叫んでも、みんな昼寝しているのでしょうか、アイスを買いに出てくる子供は一人もいませんでした。
両足をコンパスのようにしっかり地面に挿しこんで、アイスの大きい箱をお腹あたりで支えて日陰に立っているおばさんを、私は窓からいつものように眺めています。
おばさんは、建物の窓を覗くように、遊び疲れてぐっすり眠っている子供たちを起こそうとしているかのように、首を伸ばして叫んでいます。高く上げた声がだんだん枯れてきて、おばさんは叫ぶのをやめました。
木漏れ日に照らされている白い箱の上に掛けた布団を時々めくって、中のアイスを並べ替えたり、汚れている白いエプロンのポケットのファスナーを開けて、中のお金を数えたりしていたおばさんは今日の商売を断念したみたいで、自転車を押しだしました。

少し歩くと、おばさんは立ち止まりました。
メガネを外し、サドルの下からタオルを取りだして、顔全体をごぢゃごぢゃ拭きました。さらにタオルを襟から入れて、首や胸あたりも拭きました。
さっぱりしたようすでメガネをかけ、これで自転車に乗って行ってしまうのかと思ったら、なぜかおばさんは白いアイスの木箱をジーッと見つめています。
しばらくして、おばさんは木箱の布団をめくり、中からアイスを一本取りだしました。
そして慎重に包装紙を広げました。中のアイスは白っぽく光っています。ミルクアイスだ。
おばさんは、その白っぽく光っている氷柱を舐めました。
四角い氷柱の四つの面を、下から上へ、ゆっくりと舌で一回ずつ舐めてから、そのアイスをふたたび包装紙で包み直しました。舐められた氷柱は無言で、丁寧に包まれて、白い木箱の中へ戻されたのです。
幸せという表情が、一瞬おばさんの顔に通り過ぎたのです。

自転車に乗ってこっちに向かってくるおばさんの目は、びっくりして丸くなったままの私の目と合いました。
窓の陰に隠れようと思いながら、なぜか動けない私は、そのままおばさんを見つめ返しました。
おばさんは、少しも戸惑いがなく、私に向かって無邪気に笑っていました。
「ミルクアイス〜」と、おばさんの声は、さっきより潤っています。
私も、口を機械的に開けて、歯をみせて笑顔を作りました。