彼岸入り
今日は彼岸入り、天気も暖かくて、住まいの周辺はお寺が多くありまして、この時期になると、お花を持った墓参りの人が多く見られます。
故人に一本のお線香を立て、手を合わせて、何のお話しをしますかね?
ふみは、父の写真の前でお経を上げるのが、なんだか楽しそう。
必ず自分も経本を持って、“朗読”風で般若心経を唱える。
そもそも、いつ覚えたのか少し不思議ぐらい。
途中になると、所々しか言えないのを聞いていて、とてもおかしくて、私は笑いを堪えるのが精いっぱい。
「ぎゃてい…、ぎゃていは?まだ?」ーーさすがこの質問を聞いた時は、吹き出してしまった。
父も面白がって笑っているのに違いない。
今日のポカポカ陽気と一緒に来たのは、歓迎されていないにも関わらず、しつこくやってくる黄砂である。
強風がないため、黄砂はうまく空中に浮遊して居座って、広い海を全力で渡った疲れを存分に癒している様子。
黄砂ね〜砂嵐ね〜 もう二度と会いたくないものであり、もう会えないと思ったけどね。
昔にこういう歌が流行ってた、
「♪そういう日はきっと来る、海が砂を青く染める日さ、きっと来るよ信じている」(黄砂を制しようとかの歌ではないけど)
その歌を思い出して、
「♪そういう日はきっと来る、砂が海を黄色く染める日さ」ーーこっちのほうがよっぽど現実的気がする。
物乞いに会った。
食べ物が欲しい、毛布はないか、と。
ついこの間、知人が小銭でもいいから無いか?という物乞いに会ったと。
ホームレースの方はよく会いますが、物ごいは、そうよく会えるものではないじゃないかな。
何もあげなかった自分がいた。
理由は簡単、よくわからない人だから、かかわったあと、さらに面倒なことが起こる可能性が充分ある、などなど。
考えたら、日本に来るまで、数えきれないほどの物ごいに会った、毎回必ずあげてた。
お金か、食べモノか。無視したことは、なかったね。
道端、デパート、食べ物屋さん、ピンポーンしてうちに入ってくる…
老人、病人、子供…、さまざまな物乞いになにかを上げていた。
それは当たり前のことだった。
今は、なぜかできなくなった気がするね。
時代が違ったし、うん、それが一番の理由。
一概に“弱い”者に同情すべきなども言えなくなってる。
優しさは大事だが、その上にまず智慧を働かせないと成り立たない、というのも仏様の教えだ。
「仏法の大海は、信をもって能入となし、智をもって能度となす」
無原則無条件な“優しさ”は、危険を伴う場合がある、ってことかな。
物乞いだの危険だの、なんだか穏やかじゃない話ばかりね、今日は。
「自分を苦しめず、また他人を害しないことばのみを語れ。」
これはお釈迦様の言葉。わたしの好きな言葉である。