Shall We Dance



パティ・ペイジの歌は、久世光彦演出の向田邦子ドラマで初めて知ったのです。
あれは、定かではないが、「風を聴く日」だと思いますけど、
古い蓄音機から、パティ・ペイジの磁石が入ってるような歌声で「モッキン・バード・ヒル」という歌が流れて、長くない時間だが、聴き入って動けなくなったわたしがいました。
なぜか涙が出そうな気持ちは今も思い出せます。


パティ・ペイジの「チェンジング・パートナーズ」はわたしの一番の気に入り。
テネシー・ワルツ」や「涙のワルツ」なども、もちろん酔わせるのですけど。


今晩、「チェンジング・パートナーズ」を聴いて、思わず社交ダンスを踊りだしたのです。
踊りながら、幸せな笑顔が浮んでいるのを感じるのです。
ダンスのパートナーには、ふみを誘いました。
いやいやながらの、ふみが、2、3回ターンされて言い出したのは、
「サムライ戦隊シンケンジャーの歌が聴きたい」。

なんという殺風景な言葉!
「ふみは紳士になれないわ」と、わたしはふみを解放してさしあげました。


もういい、わたくし一人でダンス。

タン、タン、タン、小さいステップ、あ〜なんて気持ちがいいのでしょう。
心から笑えるわ〜


パパが帰って来て、ふみはパパと相撲取り(初場所が始まって以来、ふみの倦怠した相撲心は再び燃え始めた)。
「ママ、ママ、みてぇ、ふみの山(ふみのしこ名)が勝つぞ、ママ、ママ」、ふみは相撲の時も野球の時も、
「ママみてぇ」と強要するのだ。
ゲームに集中しないと。


「チェンジング・パートナーズ」の歌の中で、一人社交ダンスに夢中のわたしは、ステップして、ふみとパパの試合を形式的に覗いて、またステップのまま出てきました。


しかし一曲が終わると、汗ばむほどですね。


母親は、社交ダンスがとっても上手な人でした。
オシャレができない時代でしたけど、母親はハイヒール一足、取って置いてました。舞踏会用です。
社交ダンスは、なぜか社会主義のものだということで、許されてるのでした。


母は主にワルツを。
紺色か灰色しかない服装の中を、母は眩しいほど回って、軽やかにステップして、幸せな笑顔をしていました。
普段静かな控えめな母親は、社交ダンスだけはやめてなく、大學の舞踏会に、時々こうやって幸せな笑顔で出てました。
もう中年の母ですが、青年たちは次から次と、母を誘います。母の踊りが上手なため、「とっても勉強になります」、だそうです。


父は社交ダンスはまったくダメなんです。
母親から習おうともしません。「お父さん不器用だから、頑固だし、無理よ」と母は言います。
たしかに。父は音楽が好きで、楽譜も読める人で、だけど運動神経がゼロな人です。


母が舞踏会に出る時、父はいつも楽しそうに見送りして、だけど自分は参加しないのです。父の友人の中に社交ダンスが上手な人何人もいて、「奥さんから習えばいいのに」と父に言うけど、「向いてない」と父は言います。


うちの中では、父はよく急に「あ、社交ダンスだ」と、勝手に母の手を握って“踊り”だすのです。
なぜか父は歩幅がいつも小刻みで、とてもおかしくて、姉とわたしは大笑いして、母も大笑いして、父はまじめな顔して小刻み歩幅で、手を上下に大げさに揺らして、やがて自分も笑いだす…


あ〜あまり昔のことで、あれは記憶なのか、それとも夢だったのか…。


一曲、ニ曲踊って、はあはあ言うわたし。
「ね、ね、こ、今度、ママも社交ダンス大会に出て、ふみはパパと応援しに行ってね、頑張れママ〜ってね」
「頑張れ、しいちゃん」と、ふみが。


へぇ〜しいちゃんっかぁ。そうか。ダンスをしてるわたしは、ママより、一人の女性に見えたのでしょうか。
ママになる前に、まず一人の女性だもんね。
ふみもそっちのほうが、うれしいのかもしれないですね。


「うん、踊れる人に見える、映画の中で観たことがある動きだね」とパパが。

実をいうと、わたしの社交ダンスは形だけ、デタラメの部分大いにある。
姉は母親の直伝で上手だが、わたしはその時まだ小さいから、社交ダンスを本格的に母から習おうとしなかった。

DVDでも買って、ほんとにレッスンはじめようかな。
それとも、教室に通おうかな。