清明

「ママ、まちが映ってる」
まち?ふみの指先を沿って見たら、雨水の溜まりに、周りのビルが映ってる。
あ〜街が映ってるかぁ―、面白い言い方ね、ふみ。
雨靴のふみは、蛙のように水溜まりを跳ねて渡り、「ここも街が映ってる、ここも、ここも」と。


雨は夕べから降っていて、時に雨足が強くなって、寒い。ダウンコートを着る人はまだ見かけます。


夕べ、急遽、明治座のチケットを頂き、知人とお芝居を見に行くことになりました。

今、話題の女形の青年のお芝居です。
前半は青年名剣士となって、華麗な剣法と男らしいセリフや動きで、
後半は舞踊ショー、つまり女形の踊り。


場内は男性の方は全部で4、5人かな、あとは全部御婦人、とくに年配のご婦人。大きいバスに乗ってツアーで来るグループもいた。


女形で現われてきた途端、「太一〜」との黄色い声が場内からあがる。
わりと近いところに座ってた女性が、両手を高く挙げ、「太一ー!」と叫んだ、声は低くて辛そう、心の底の悲鳴に聞こえる。ちょっとびっくりした。


前列に座るグループが、無我夢中で、ずっと手拍子をとっている、周りはもうしてないのに。もう周りなんか見えないのよね、きっと。



“太一”が花道に移動した時、三階の端っこに座る女性、身を乗り出して…。少しでもお顔を拝見したい気持ちはわかりますけど、危ないっ!落ちちゃう落ちちゃうよ。

……


穀雨難得雨
清明難得晴
穀雨の日は雨が降らない、
清明節にはなかなか晴れはない)という中国の諺通り、清明節の今日は、見事に綿々と雨が降ってました。


中国では、お彼岸というのはなくて、盂蘭盆も地域によって、やったりやらなかったり。この清明節は、中国全国いや、おそらく全世界の中国人の決まったお墓参りの日です。

ちなみにわたしの生まれ地域に住む漢人は、盂蘭盆のことを、民間で「鬼節」とも呼んでいます。

中国では、霊などのことを全部“鬼”と呼びます。

日本の昔話のオニの意味ではなく、人間界で生きていないものは、全部“鬼”になるのです。

アメリカ映画の名作《ニューヨーク・ゴースト》の中国語訳のタイトルは、
《人鬼情未了》です。
人間と、幽霊になったものとの間の、切っても切り裂けられない情け。


「我作人作鬼都会報達你」
(私は、人間としても、あの世に行っても、あなたのこのご恩を忘れることはなく、必ず恩返しをいたします。)
この中国語によくある台詞だが、日本人が読む場合、…オニになって…、全く意味が違ってきますね。



今日、故郷にある父親のお墓に、どなたかお墓参りして下さったのでしょうか。