食糧
週明けの今日、20℃にも昇る暖かさ。
朝、保育園に行く道、ふみはなんとなく嬉しそう。
うん、わかる。
敷き布団のカバーなどをセットしている間、ふみは自分の通園カバンの仕度をする。
ブーブーブーの音が聞こえる。ふみだ。コップを口に付けて、中に向かって思いっきり息を吹いてる。
「ふーみ君、頼むよ、びっくりするんじゃないの。警報かと思っちゃったよ、縁起でもないから、やめて〜」と先生が。
そう聞くふみは、にやにやして、さらに吹く。
「ね〜、70パーセントだもんね、もう確実ってことですよね」一人のお母さんが。
この三日間の大きい余震の確率のことね。
確かに、恐ろしい数字ね。
お部屋のテーブルに、子供たち用の防災用頭巾とヘルメットが用意してる。
ふみとバイバイして出てきたら、U君とそのママと会った。
「東京タワーの先っぽ、曲がったって」とU君が。
二人は電車に乗ろうと駅まで行ったが、動いてなくて、諦めたという。
いろんな電車が今日から運休だったり、制限運行だったり、たいへんな状態になっている。
同僚が、自分の地域の電車は運休と知り、早朝5時起きて、バス停で行列、電車駅で行列、やっと職場に辿りついた。
自転車の売れ行きが急増だそうだ。
お米・小麦粉・パン・水などの食料はもちろん、
貯水用タンク、カセットガスコンロ、そのガスボンベ、電池、トイレットペーパー、みんな買えなくなった。
どうもこれは長期戦になりそうだと、誰もが思ったのでしょう。
夕方、ふみをお迎え。
もし停電になるなら、それにより、保育園の業務もいろいろ支障がでるので、できるだけ早くお迎えや、自宅保育できるのなら、協力をいただきたい、と玄関に区からの貼り紙があった。
「ふみ、今日の地震の時、みんなはどこにいた?」
「外で遊んでた。先生が靴のままでいいって言って、みんなお部屋に戻った」
「頭巾はかぶった?」
「うん」
「今日は泣いた子いた?」
「今日はいなかった」
午前10時頃、茨城沖にまたやや強い地震があった、携帯の警報がなって、すぐ、揺れた。
先週金曜日の大地震の時、ふみたちは、先生の指示に従って、全員頭巾をかぶって、しゃがんで、親を待っている時、泣く子はいたという。
あの時はふみは泣かなかったが、でもやはり以前より、怖がっているね。
ちょっとでも手を繋いでないと、「ママ、ママ、こわいこわい」と言う。
保育園から、塾へ向かう。
こういう情況なので、教室でお勉強することがなく、宿題をもらって帰ることになってる。
先生はふみに向かって「今日、来てくれてありがとうね」と。
ふみとスーパーに行って見た。
ひゃ〜からっぽね。
「品物は入ってこないわ、買う人はいつもよりずっと多いわ、今のうち、買えるものを買っておいたほうがいいよ」と店員のお兄さんが。
ビスケットとラップを買った。
被災経験ある人はよくラップが役に立つというから。
お皿に敷いて、洗わなくて済むとか。
ラップは、まだちらほら見かける。
いろいろと、疲れましたね。この疲れはいつが終わりなのか、まだまだ見当つかないでしょうね。
地震の爪痕。
近くの神社の鳥居も、周りが立ち入り禁止となっている。
道端のお花。
道端に、紫陽花がだいぶ芽が出ている。
わがやのはまだだけどね。今年も紫陽花がきれいに咲いてほしいな。今年こそ。
日本地図で遊んでる時、ふみは漢字に興味を持ち、
“山”の字とか。