ブロック
今朝、強い腰痛を感じて、予定を全てキャンセルして、お布団をかけて、横に休んでました。
昼近く、痛みはどんどんひどくなって、これはいけません。土曜日に結婚式もありますから、腰がこのままじゃ、とても出られません。
近所の麻酔科にお電話をして、珍しく午後空いてて、「少しお待ちになるかもしれませんが、2時半にいらしてください」という回答を聞いて、安堵するわたしでした。
午後は雨がぱらつくかもしれないとの予報で、傘を持って出てきて、
思ったより、歩くのがたいへんでした。
傘を杖代わりにして、ゆっくり、ゆっくり、と、病院に着いて、
「あら、お久しぶりですね」とF先生は記録を見ながら、「前回は2年前の5月ですね」と。
確かに、忘れもしません。震災の後、R先生ご夫婦のお言葉に甘えまして、ふみを連れて、関西へ避難。
戻ってきて間もなく、わたしは寝たきりになって2週間ほど、腰も足も、体中が強い痛みで、動けなくなりました。
あの時も近所のこの麻酔科に行きたかったが、何せ、まったく動けないですから。
歩けるようになってから、やっとその麻酔科に行って、電気で温めたりして頂いてました。
あとでわかったんですけど、原因不明な痛みは、ほとんどストレスだそうですね。
今回のストレスはと言うなら、おもにあのハロウィン衣装の日じゃないでしょうか。
何時間の間、苦痛で堪えきれないほどでしたから。
土曜日に結婚式があります、と伝えましたら、F先生は、「じゃ、早く治さなくちゃね、どうします?お注射します?」
神経ブロック注射をすることにしました。
F先生はこの病院を開業するまでは、大学病院の麻酔科の教授でした。技術は確かなものです。
わたしは腰椎の神経ブロック注射は初めてです。
患者さんが緊張しないためでしょうか、F先生はずっと雑談しながら、やっていました。
腰椎の神経辺りに針が入ると、なんとも言えない違和感と、にぶい痛みで、ちょっと恐怖も感じます。
でもF先生を全面信頼してますから。
お注射が終わり、20分の電気温め、15分のじーっとした休憩、治療が終わり、下の薬局へ、既に先生はファックスしてくださってますから、待たずにすぐお薬をもらえました。
湿布と痛み止めの飲み薬です。
学童に電話して、ふみを今、一人帰りにしてください、と。
午前は、わたしは学童にお電話をして、病院によるので、時間はわからないです、今日はお迎えに行きますと言ってましたから。
信号のところで立ってたら、ふみは走ってきまして、「それ、持ってあげようか」とわたしの手から、湿布などの入ってる大きい袋を持ってくれました。
「ありがとう。今日、咳どうだった?」
「うん、あまり出なかったよ」
「よかった。ママね、今日はちょっと腰が…」
「うん、聞いた、Kちゃんから、お母さんは腰を痛めて、って」、Kちゃんとは、学童の職員で、高くて細い青年です。
ふみはわたしの手を繋ごうとしますが、わたしは、ふみの手より、杖代わりの傘がよかったです。
「ああ〜、ママもこんな時代が来るね」
「こんな時代って?」
「だからさー、杖なんか、おばあちゃんみたいじゃない」
「あらイヤだ、別にずっとこうするわけじゃないんだから、今日はお注射したばかりだからよ」
ふみは充分歩幅を小さくして、ゆっくりと歩いているつもりでしょうけど、わたしは、さらにゆっくり、ゆっくり、じゃないと、着いていけないのです。
うちに着いて、玄関で、ふみは、しゃがんでわたしの靴紐をほどいてくれて、
わたしは横になって、ふみはお薬とお水を持ってくれました。
パパが帰ってきたら、ふみは真っ先に、
「パパ、今日、水泳を休むでしょう、ママね腰が痛いから」と。
夜になると、だいぶラクになりました。
寝返りとか、午前に比べて。
神経ブロック注射、危険性もあるでしょうけど、即効性は確かです。
峠が越えたと感じます。まだ休養は必要ですけど。
相当な疲労感が沸いてきました。痛みを耐えるのは、心身ともくたびれます。
明日も一日横になってたら、さらによくなるのでしょう。
ふみのポケットにのハンカチ、今日は使った形跡がない。しかも濡らすなどの偽装工作すらしていない。ママが具合悪いから、ふみはそこまで及ばなかったのでしょう。
ふみに、再三と、手を石鹸できれいに丁寧に洗わないと行けないことを、道理から、実例から、去年の2回ウイルス感染のことから、お話をしました。できるだけ、言葉を選び、イヤな言い方をしないようにと気を付けました。
この前、テレビでの、人類の病気の起源やってる番組を見ました。
ウツをやっていました。
長年の研究により、“恐怖”はウツの根本的な原因とのことわかった。ウツは、人の心身ともダメにして。人間だけではなく、魚すらウツになります。
水槽でずっと大きい魚に怯える魚は、やがて底のほうにぼーっといて、やる気もなにもなくなり、ウツ状態に陥るのです。
脳の扁桃体が暴走になったのです、
現代では、ライオンに襲われるような状況そうそうないですから、人間関係により、ウツになります。
わたしには、とても感慨深いものでした。
気を付けようと思いました。
人間は、相手に、嫌な思いをさせる言葉、ましてや恐怖を感じさせる言葉を、発する権利なんぞ、誰も持っていない。
例え相手の間違えたところを指摘するにしても、言葉を選ばなくちゃならない。
相手に苦痛を与えるのは、相手に深いところに病気を与えたのと、同じく恐ろしく、してならないことだと、単純に感じました。
確かにお釈迦様も、日常に発する言葉のことをお説法をしてました。
「自分を苦しめず、また他人を害しないような言 葉のみを語れ、これこそ実によく説かれた言葉な のである」
ふみが、自主的に、丁寧に手を洗うまで、慎重に言葉を選んで、注意し続けることを、頑張りたいです。
ふみのために、同時に自分のため。
相手に嫌な、ましてや恐怖な思いをさせたら、その思い、やがて自分のところに戻ってきて、自分の悪い“業”になりますから。
そう思います。
だから頑張らなくちゃね。あたし。