3週間ぶり
夕方、3週間ぶりにヨガに出ました。
新しい男性の方の生徒さんがいらして、わたしは初対面でした。
素人じゃない動きぶりです。
そもそもP先生に付いてる生徒さんたちは、素人は、わたしだけじゃないかしら。
みんなは、すでにどこかのヨガを教えてる方ばかりで。
今日の男性、ちょー難度のポーズを、軽々とやって、スピードもあって。
そこでP先生は口を開いて、たどたどしい日本語で、
ゆっくり、もっとゆっくり、無理しない、スピードある、ただ難しいポーズは、ヨガじゃない、ヨガには要らない。
と。
男性はわりと素直に、はいはいと頷いてらした。
P先生は、日本でのヨガの先駆者、相当のレベル、だが、いいえ、だからこそ、シンプルで、地味で、基本中の基本をしかやらないです。
P先生のヨガは、道場に来てからではなく、日頃24時間ヨガ暮らしをなさってます。
咳で3週間お休みしたわたしに、今日もP先生が言ったのは、いつものように、「無理しない、ゆっくり、」との言葉でした。
無理しない、この言葉の大切さは、年齢とともに、沁々と感じるのです。
大きい無理でも、小さい無理でも、自分にとって、“無理”と感じることは、
その結果は、ただ一つ、それは“怒り”です。
文句、愚痴、怒り、全部この“無理”から生じたのです。
無理することを避けるか、避けられないなら、何回も自分に、この“努力”は、わたしはなんの報いも望んでいない、耕雲のみ、収穫のことどうでもいい。と言い聞かせること。
無理は、しない。
ヨガのおかげで、わたしは、驚くほどの体の変化を感じます。
来年は、もう7年目に入りますね。
70代後半のP先生は、いつまでもお元気でいてほしいです。
P先生だから、こんななんでもすぐ挫折するわたしが、何年もヨガを続けられたことだと思います。
着物を着て洗いものなどをするとき、紐で袖を縛る、いわゆる“タスキ”がないと不便です。
わたしは、その交差して自分を縛り付ける格好は、あまり好きじゃないです。
いかにも(一生懸命やるじょっ)みたいな。
この現代のタスキが気に入ったのです。
袖を挟んで、ゴムを帯を通して、もう片方の袖を挟んで。
その合理さとさりげなさに感心してます。
小さい巾着袋に入れ、常にバッグに携帯したいと思いまして。