命日


10日は父親の命日です。
幾年が経ったのでしょう。パッと言えないぐらいの歳月が流れ去りましたね。


父親がいなくなって、私は、この世に、私を無条件に愛してくれて・心配してくれて・気を留めてくれる人は、もういないなと思いました。そう思うと、何とも言えない寂しさが湧いてきました。
それと同時に、私はもう、帰る場所がなくなったなって思い、寂しさがさらに増して、あれ以来消えることがなく、恐らくこれからも続くのでしょう。
世にはそれを「郷愁」と言うみたいです。まあ、近いものなのでしょう。


その時点で、私はもう迷うことなく、暮らしている日本の国籍の取得を申し込もうと考えました。だって私は、もう帰る場所がないんですから。


“第二の故郷”という言葉をよく耳にしますけれど、私にはそれが、その“第二の故郷”がないです。
故郷は故郷、父親が逝ってしまって、故郷にはもう誰もいない時、私の辞書に、“故郷”も一緒に封して、それ以来の該当する言葉は、「現在暮らしているところ」です。


故郷は、永遠に心の深いところに、大事に大事にしまってありまして、柔らかくて、暖かくて。


生まれてまもない頃から、父の命日には必ずふみも抱っこして一緒にお線香をあげて、お経をあげます。
赤ちゃんの時のただボーっとしていたふみは、もう一緒にお経らしきものを唱えたり、最後は「お願いしまし」と言うようになりました。
ふみが機嫌がよいのは、早く終わって、早くお供えしているお菓子を食べたいのかもしれません。
父が知ってたら、笑うのでしょう。会ったことのない孫ですけど。


お父さん、どこでなにをしているのでしょうか。
時々私を見にいらっしゃってますか。
「あなたのお父様は、きっと娘のあなたを見守ってますよ」ーー正直、信じてるような、信じてないような。


お父さんの望んでいるような娘であるように、生きつづけます。


まもなく、暑い夏が訪れますね。