怪獣 わかしお 富山

「ママ暑いね」
「うん、夏だもの」
「あつい」
「夏はこうなのよ」
昨日、ふみと手を繋いで駅に向かっている時、この会話は何回も繰り返しました。

梅雨明けと発表されて、さすが暑さはムシムシするより、カラッと感じます。
その代わりに、日差しはジリジリしてきました。

この頃のふみは、出かけると聞くと、交通手段を交渉してきます。
以前はただバスか、電車か、地下鉄かだけなんですけど、最近は、「総武線はイヤだ、中央線乗る!」みたいな、まるでベテラン主婦が自由市場で値切りしているようです。


錦糸町にあるアカチャンホンポへ、ふみの日常用品を買いに行きました。
錦糸町総武線しか止まらないんだから、総武線乗るの」
「イヤだ」
「どうしてよ、黄色線が入ってる総武線はかっこいいよ」
「オレンジ色の中央線がいい!」

まったく何のこだわりでしょう。


でも一旦総武線に乗り込んだら、ふみはそれなりに楽しそうです。


錦糸町のあるお店です。
私はタオルなど見ているうちに、ふみはすぐそばの玩具売り場で見てました。
「ママこれ買って、これ欲しい」
ふみの手はこの怪獣を持っていました(後でその名前は地底怪獣“テレスドン”だと主人から教えられた)。

「これ?!」その不気味なものを受け取って、私は少々驚きました。
とうとうふみの怪獣好み(?)が始まったのですか…


ふみがまだ小さい時に、恐竜とか怪獣が好きな主人が持っていたいくつかの模型をふみの前に置いたことがあります。
けど、ふみは強張った顔で、触ろうすらしなかったのです。
やっとで恐る恐る指で、恐竜のデコボコの背中をちょんちょんして、すぐその場から去ったのです。


ふみは恐竜を受け付ないと見て、主人はがっかりしたようですが、私は密かに嬉しい(^_-)
だって、あんな訳のわからないもの、おまけに不気味だし、私はごめんだわ。


しかしふみがそのテレスドンという怪獣を持っている時の表情は、平静そのものです。
興奮も特別の喜びもなく、まるで昨日会ったばかりの友と、またばったり会ったような…。
これは危険ですね、これは始まったね。


帰りの錦糸町のホームに上がったきた途端、ふみは
「あれっ!あ"!え〜〜〜」と声あげました。
ふみの指先を見てみたら、向こうのホームに止まってる電車でした。


白っぽい電車ですが、車両と車両の間あたりに、青と黄色いが入ってます。


「きれいな電車だね」と私は適当に言ったのですが、
ふみはまったく聞こえてないように
ビューわかしお」としみじみ、ゆっくり言いました。


わかしお
車両の電子掲示板をよく読んでみると
たしかに わかしおと書いてありました!


わかしおよ、すごいねふみ、よくわかったね」
私は心から感心してます。
ふみは何にも聞こえてないように、ただただ吸い込まれるみたいにその「わかしお」を見つめてました。

毎日研究している電車の写真集の一枚の本物が目の前に現れた、その気持ちを分からないでもないだけどね。


ワカシオは発車し、ふみも現実に戻り、好きでもない総武線におとなしく乗り込んだ。


「座れましぇんね」とのふみの一言で、若い女性がふみを抱っこしている私に席を譲ってくれました。
すみませんね、本当に。


正面に座っているのは、一目で双子だとわかるちょっと年配なご婦人です。
この年齢の双子はあまり出会わないですね、思わず隠しながらシャッターを。
すみませんね、本当に。

Tシャツもズボンも帽子も一応色は違うんですけど、でも同じ系です。
お二人ともうちわを持って、姿勢も同じく、鏡の前に座っている一人かと思われるほど。
双子って、こんなもんかしらね。フシギフシギ。


浅草橋駅で、酒の匂いと一緒に、六〇代の五、六人紳士ご婦人が乗り込んできました。

リリアンが付いてるワンピースのご婦人が、私の隣の空いてる席に指さして
「会長、カァイちょっ、座って座って。一番飲んだんだから、ふふふふ」
扇子を煽るたびに、袖のリリアンがヒラヒラとまるで酒が入ったようです。


黒縁の分厚いメガネの会長と呼ばれる男性が
「いやいやいや、僕ほら、まだ若いから、ははは、どうぞどうぞ、何でしたっけ、レディーファーストっていうヤツか、ははは」と呂律がまわらなく、体はまるで吊革にぶら下っているように、ゆらゆら。


「あたしたちだって若いよ、やっぱり会長どうぞ」と別のご婦人が。


「いやいや、僕はまだ65になってないから、ここほら、ゲっ」と会長は一つゲップを、「ここは優先席だから、65以上の人じゃないと座れないよ」
5、6人一斉に笑った。あ、一人だけ笑ってない人がいました。
老紳士です。口に当てているペットボトルのお茶を、ゆっくりと蓋を締め、またゆっくりとペットボトルホルダーに入れ、メガネを押して、
「本当か?65以上じゃないと座れないのは本当?」と優先席の窓に書いてある字を読み始めた。
残った5、6人がさらに笑う。


譲り合った末、あまり酔ってるに見えないし、一番年長にもみえない男性が座りました。


「しかしよぉ」とその男性が、「東京生まれの人はよぉ、俺らみたいに後先を考えなくていいから、気楽だ…」
5、6人はそれぞれなぜか黙ってしまいました。

この時、この方たちの手に、同じビニール袋を持っているのに気付きました。
中には、同じ大きさのお菓子のような箱と新聞一部です。
富山新聞」と書いてあります。


私たちは駅に着きました。
皆様、どうか暑さに負けないように、お元気で。