箱根の旅

旧盆が過ぎて、やっと我が家の夏休みになります。

二泊三日で箱根に行ってきました。

出発前日までは暑苦しい毎日でしたが、出かける朝は、遠くに台風が来てるおかげで、だいぶ冷たい空気が動いてました。



新宿発9時半のロマンスカーに乗って、箱根へ向かうとなると、ふみは嬉しさを隠せないです。

車内のふみは、口は止まらないわ、裸足になるわ、動き出すわ…満席状態のこの車両は静かな方ばかりで、ふみの声がとても目立ちます。

さっきホームでうろうろしてた小学生らしき集団が同じ車両ならいいのにな、そうしたら子供たちが騒ぐ大合唱の中で、比べてまだ弱いふみの声も埋もれてしまうでしょう。



おや、斜め向かいに座ってる小学校高学年ぐらいの男の子二人は双子みたいですね、おとなしいですね、行儀よく肩並らびにお母さんと対面で座って、三人は偶には言葉を交わしますが、ほとんど静かに座ってるだけです。

そっか、いくら男の子でも、小学校高学年でもなれば、ああなるんだねと思って感心している時、次の駅から合流したお友達とそのお母さんが乗ってきたのです。子供同士・大人同士それぞれ向き合うように席替えして、途端、男の子たち騒ぎ出して、お母さんたちはしゃべりだして…。V(^-^)V


箱根湯本駅に着き、チェックイン時間まで、まだまだあります、タクシーに乗って宿まで行って、荷物を下ろして、三人で歩いて駅周辺のお土産屋や飲食店の並んでる街へ向かいました。

小雨の中、細い坂道を、宿の傘を差してゆったりと下ります。周りの山々は、霧のような煙のような小雨に囲まれ、ひんやりした空気、一瞬、都会の濁りがすべて洗い流されたような気分で、思わず深呼吸してしまう自分でありました。



箱根湯本は、昔の温泉街という雰囲気のある街づくりです。それに短い鉄橋の下に、小さい川が流れてました。川のある街は、やっぱり風情がありますね。




蕎麦屋でお蕎麦をいただいた。ふみは昼寝の時間なんだけど、少しも眠る気がないや。

三人で街のお土産屋さんをぶらぶら散策。



温泉は好きですけど、あまり強くないです。いわゆる湯当たりになったりしますから。

いつか行った蔵王温泉のような酸性の強い湯はとても苦手で、アルカリ性の泉質が好きです。だから箱根は好きです。

箱根はこれで5回目かな。山に囲まれて、なんとも言えない安心感と落ち着きが得られる気がします。

そのうちの一回は、知人の招待で、父とまだ学生だった姉と私が箱根を訪れたことがあります。

その旅で、二回ほど富士山が見えたのを覚えてます。

曇りの日で、朝、宿から出てきて、目の前の空に、急に雲が少し開き、そこから富士山の一部を覗き込んできたのです。父は大いに喜びだったのが印象でした。それまで私は常にクールな父がこんなに富士山を嬉しがるとは思いませんでした。

その後大湧谷の山道の階段を登り、休憩所のところで、富士山のほぼ全容が現れてきました。姉と私は「すごいね」と普通に感心しているに対し、父はずっと無言で富士山を眺めてました。長い時間、父の顔には特に変わった表情は浮かんでないですが、父が感動してることは、娘の私にはわかります。



父はやっぱり日本が好きです。父の心の深い場所に日本への深い感情があるということを、その後だんだん私は確信してきました。

父は中学校まで日本人学校にいたからでしょうか、それともさらにほかの理由があるからか、私には知る由にありません。



温泉なら、私は露天風呂を好みます。

空気が動くのだから。



あれは冬でしたね、鬼怒川の雪がチラついている露天風呂、湯のありがたさを念じて、ちらちら降ったり、またやんだり、またちらちら降ったりする雪を眺めてましたね。



夕飯後、露天風呂に入りました。

小雨は上がってました。

山の大きい松と杉、葉っぱの先っぽすら少しも動かず、一瞬、これは舞台の背景の絵じゃないかって思うほどでした。

木々たちは高く暗く深く、

「来世は私もあなたたちのように、山の上の木になろうか」と林に向かって私は無言でこう尋ねます。

木々は軽く頷きもありませんでした。

ダメか。



ふと、あたりを見回ると、浴場には誰一人もいなかったのです。

他のお客は夕食中かしら。みんな宿にきたら飲むもんね。

暗い電気の近くに蛾がいた。飛んで降りて、また飛んで降りて、自分に合ってる居場所を探しているみたい。

大きい蝶々よりも巨大な蛾は初めて見ました。暗い明かりでも薄緑の色が判明できます。

あとで聞いたら、大水青(オオミズアオ)というらしい。色は青白だと。
薄緑じゃないんだ。どう違うんだろう。「薄緑」だと、いい人な感じで、「青白」はどうも悪いヤツみたいなのにね。?(=_=)




翌日、眩しい日差しの朝を迎えました。

駅に行って、登山電車に乗ります。



前進して、こんどは尻尾が先頭になってパックして山を少しずつ登る登山電車は、中国人の発明なんじゃないかと、小学校の教科書を思い出します。

贍天佑という中国人が、「之」字線路で山を登ると発明したと。

うん、今度調べてみよう。(“贍”は貝偏がないと思います、日本語ではその字がでないので)

贍天佑のことを考えている間、ふみは眠った。



終点でもふみは起きず、仕方なくケーブルカーを乗るのを後回しして、お蕎麦屋さんで休憩をとり、色白な和風の女将さんのいるそば屋では、イメージと違ってずっとロック♪をかけてました、ちょっとおもしろかった。ロック♪がながれてる蕎麦屋は初めてです。

おかみさんは、隣のテーブルでせいろを食べてました。他のお客はいません。

私はかけそばを頼み、温かいつゆに蕎麦少々、上はちょっとだけのネギが散っている。
かけそばです。


かけそばをいただくたびに、「中国人にこの食べ物を出したら、怒られますよ。乞食にもこのような簡単過ぎる食べ物を出せないわよ、失礼になるから」と私は声を潜めて言うのです。

そして決まって「だから頼まなきゃいいじゃない。かけそばはこんなもんだよ」と主人が言うのです。



でもこれは本当の話、しつこいようだけど、間違いでも中国人にかけそばを出さないほうがいいことです。




ケーブルカーに乗ろうとした時、ふみが目覚めました。



ケーブルカーに乗り、またロープウェーに乗って、大湧谷に着きました。


しかし硫黄の匂いはこうでしたっけ、ここまでキツくない気がするんだけどね。

季節によって成分多少違うんだって。やっぱりね。前はこんなに息もできないほどではなかったよ。




富士山、やっぱり見えなかったのです。五合目あたりから、そこだけに集中した雲があって、終始そこから上を見せてくれませんでした。

外国のメガネの男の方に、フジマウンテンはどこ?と訪ねられ、指差して教えました。その人は私の指先の灰色雲の塊に困惑そうでした。

「今日だけ見えないんだ」と彼は急に釈然して言った。

今日だけじゃないよ、見える日が逆に稀なんじゃないかなーー言いたいけど、英語で言えなかった。



またロープウェイに乗って芦ノ湖まで降りて、「海賊船」に乗りました

ふみは自分で歩いたり、抱っこされたり負んぶされたりして、楽しそうでした。

船の上では、ずっと甲板で走り回ってた。



「海賊と写真を撮りませんか」と、スタッフの方が“海賊”を連れて大声で呼びかけながら歩き回ってる。青い“海賊制服”と大げさな付け髭姿の海賊のお兄さんは後ろに付いて、なんだかはずかしそうでした。

“海賊”が通るたびに、ふみは「悪い人が来た」とおとなしくなります。

みんなもそう思ったのかな、海賊兄さんと写真撮る人はいなかったようです。



芦ノ湖は、相変わらずきれいです。
みずうみは、永遠に平静で美しいですね。


宿に電話をして、夕食を6時にしてもらって、安心して帰りの登山電車に乗りました。

「伊藤」と書いてある名札を付けている車掌さんがいる運転席のすぐ後ろに座れて、ふみ興奮気味です。名札に「いとう」と書いてあると教えてもらって、車内見回りする伊藤さんに、ふみは急に

「イトウしゃん〜」と呼び掛けたのです。

伊藤さんは振り向いた。

びっくり。ふみも、私も、伊藤さんも。



伊藤さんは笑った。人のよさそうな伊藤さんは、ポケットから「登山電車120年記念カード」を二枚取り出して、ふみに渡した。

ふみは嬉しくてしばらく言葉がでなかった。

その後、何回も何回もカードの赤い登山電車の写真を眺め、「同じ。同じ。ふみ乗ってるのと同じ」と何回もつぶやいた。



夕食の時、箱根の山からひぐらしの鳴き声が聞こえてきた。

カナカナカナ…

「子供の頃このひぐらしの鳴き声が聞こえると、もう夏休みは終わりだなぁって…」と主人は湯呑をゆっくりとテーブルに下ろした。