空は高く 雲は淡い

今日見つかった“秋”です。
テパートのショーウィンドーとお花屋。





幼なじみが故郷の歌のCDを送ってきてくれたのです。
新しい歌もあれば、聞き慣れた歌のカバーもあります。
恋の歌、故郷の山河を讃美する歌、家事をやりながら気楽に聞いていました。

次の歌、
「…
父なる草原・母なる河よ
私はもう母語で話すことができないけれど
どうか私の悲しみを受け入れてください」

前も聞いたことのある歌でした。聞くたびに、心に響くものがあります。


私、私たち、草原に住んでるのではなく、町に住んでる人は、もうモンゴル語で話すことがほとんどできないのが現状です。
公の場所で通用する言葉ではないのですから、勉強できる場所もあまりにも少なくて。
父が私を、小学校、中学校、高校とも当時も数の少ないモンゴル人クラスに入れてくれたおかげで、私はまだモンゴル文字が書けるのですけど、使う機会がまったくって言っていいほどないのですから、だいぶ忘れてきています。

幸い自分の名前を、まだ苗字ごと書けるのです。


小さい時は、うちの中で、親同士がモンゴル語で喋る、親が私たちに対してモンゴル語で話かける、私たちはそれを聞き取れるけれど、中国語で返します。
ーーおそらくこれは当時町に住んでるモンゴル人のほとんどの家庭の形でしょう。


一世、二世、三世、だんだん簡単な言葉も聞き取れず、ましてや文字を書くなんて。


モンゴル国は全員モンゴル人、けれど長年旧ソ連の植民地と言ってもおかしくないせいで、モンゴル文字を換えられ、スラフモンゴル文字、つまりロシア文字しか使わなくなったのです。

モンゴル国(私たちは「外モンゴル」と呼んでる)が民主化になって、モンゴル文字の復活運動が一時呼びかけられてたようですが、もう手遅れ、若い世代は誰一人書ける読める人がいないですから。
大相撲のモンゴル力士のおかげで、時々テレビ画面からモンゴル国の映像を見かけることができて、町の看板から、教科書から、モンゴル文字ではなく私の馴染みのない文字だらけで、けど、そこのモンゴル人は何も疑問なく、それらの文字を読めています、それら発音当ての文字で自分の言葉をしゃべっています。


これは避けられないサダメでしょうか。
これは歴史の流れの必然なことでしょうか。


いつか、世の中は、チンギスハンという名前を聞いても、かつて世界一番大きい国を作った実在の偉人だという認識ではなく、伝説や神話の中の人物にすぎないと思うのでしょうか。そんな気がします。


いつか内モンゴルでも外モンゴルでも、人々は英語かなんかをしゃべって、博物館でモンゴル文字の資料を観て、「難しい字だね」「縦書きなんだわ」「おもしろい、解けない糸の形みたい」と談笑して次のコーナーに進むのでしょうか。


その時、遠くから、泣き声のような物音がするのでしょう。