オアシス

目の至るところまでセピアの世界です。


どこまでが天で、どこまでが地なのか見分けられません。
風は強く、風向きはまるで定まらず、木の枝を四方八方に押し出し、枝はこの抵抗できない力にどうにもならず、その動きはただ怯えているばかりにみえます。


仰ぎ見れば、天に丸い球体がかすかに光っています。真昼の太陽です。
人々は頭を下に向けて、得体の知れないものと戦うように、どういう姿勢をとればいいかわからず、全力で足を移動させようとしますが、その動きは鈍く、ズボンの裾は激しく前進方向と逆に揺れる。


砂嵐です。


黄砂が嵐のようにやってくる。

頬を痛くさせる小さい石は、たまに行き止まりの壁などの足元で一息するが、細かい砂は、疲れ知らずで地球の引力を無視して、満遍なく空中に浮遊し停滞する。


でも私は小学校を卒業するまで、砂嵐をみたことがなかったのです。
砂嵐は砂漠地域だけの特有な気象で、私たちには無縁な存在でした。
中学校に入った頃から、春になると、砂嵐は誰の招きを受けたのか、強引に町にやってきたのです。

私たちは、そのセピアの世界が、はじめは新鮮で面白かった。晩春に飛ぶ柳絮を迎えるような。

けれど間もなく、砂嵐は、ふわふわ転がっている綿毛とは比べられないものだとわかったのです。

女子生徒はスカーフで頭全体を包むことにしました。
放課後、教室から出た女の子たちは、一斉にカバンからスカーフを取りだし、頭に丸ごと被り、首あたりでしっかりとしばる。しばる前にちょうど強い風がやってきて、手の中のスカーフを奪おうとすると、きゃーと悲鳴が上がる。隣にいる、すでに完璧にセットした友人が手早く助けてやります。


校門で、赤・白・黄色の色彩の頭がお互いに無言で手を振って別れます。
薄めの黒いスカーフは一番見通しがよいのですが、年頃の女子学生は、おしゃれ心だけは砂嵐に負けたくないのですから。
それでも砂は、口元に、鼻の周りに、髪の中に、無理やりに入ってきます。
夜に髪を洗うのを待っていられず、私はいつも昼食後に洗髪するのです。髪を洗った水を捨てる時、洗面器の底にはいつも細かい砂が溜まっていました。
そして、髪をまだ完全に乾かせないうちに、またスカーフを巻いて学校に向かうのです。湿っぽい髪には余計に砂がくっつくのですが、私は洗髪しないではいられない女子中学生の一人でした。


息さえうまくできずに風と砂と戦い、精一杯自分の足を運んでいると、風の怒号はだんだん遠くなってゆき、私の目の前のセピア世界の向うに、いつもオアシスが現われました。


そこには、私が小さい時にみた高い高いポプラの並木と木陰、子供たちが採ってきたニレの実の浅葱色、日曜日の朝、昇ってくる朝日の暖かい光を纏い、土や芽の香りを吸いながら、干している布団を捲って姉とかくれんぼをしている時の清潔な空気と、父と母の笑顔がありました。