山羊の乳

牛乳が貴重な時代でした。


近くのある農家で、自家製の山羊の乳を売っていると母が知り合いから聞いて、「うちも取ってみようか」と言いました。

「ええー?」という姉に対し、
「賛成賛成」と私は積極的でありました。だって、飲んでみたいんだもの。
「賛成って、まずいよ、知らないの?知ってもいないのにどうして賛成できるのよ」
姉は“変わっている”私にいつもあきれているようだ。
「えっ、だって、山羊の声が高いし…」と言いながら、自分もわけわからなくなってきた。
「じゃ、あなたが頼んだんだから、ちゃんと飲んでね」と姉は出て行きました。



白い液体が鍋の中に小さくふるえ、膨張して溢れて来そうなタイミングで、母は鍋を下ろしました。初めてみる山羊の乳でした。


見た目は牛乳と違わないです。なのにどうして牛乳はまるで手の届かない存在のように対して、山羊の乳はこんなに手に入れやすいの?
味見する前に、私は山羊のため不公平を訴えたい気持ちでした。


ゆっくり口に入れたら、あ… うん… や、やっぱりな、牛乳と全然違うわ。まだ鞣めす前の毛皮の匂いを思い出しました。


母の期待している目、姉のざまみろの笑み、山羊の悲しい細高い声…毛皮の匂い、どこか飛んでいってください、のみま〜す。
ごくごく、一口じゃなくて、たくさん飲みましたら、鞣めす前の毛皮の匂いは本当になくなりまして、芳醇とさえ感じました。


「おいしい!」という私の言葉に、姉は半信半疑で鼻を鍋に近づけて、
「おわ、ダメダメ」と台所から出て行ってしまいました。
「本当においしいの?」と聞く母にたいして、
「うん。でも、ちょっと古くなったチーズの味がしますね。でも私は全然平気よ、平気というより、すきです」と私は言ってしまいました。


その農家から、山羊の乳を取ることになりました。
配達はしてくれないので、毎日、午後、ボールを持って農家まで取りに行くしかないのです。


「放課後でいいわよ、あなたが行ってきてね、隣のお姉さんも行くから、連れてってもらえばだいじょうぶよ」と母がいいました。


蓋付き取手付きのボールを持って、隣家のお姉さんの後ろに付いて農家に向かう時、なんでこういうことになったのかなと、多少後悔の気持ちもなりました。


ギーッと、板の扉が開いて、ぼさぼさ髪の女性が「なに?」、視線が私たちの手に持っているボールに落ちると、
「あ、山羊の乳ね、ここで少し待ってて」。


ボールを渡して少し待ってたら、女性が戻って、
「はい、おまたせ。あ、ちょっと待って、あなたの家の分、これからもあなたが取りにきてね、顔が変わると困るのよ、覚えられないから」
「はい」と答えたあと、その“あなた”は私のことでしょうねと少し迷いました。



こうして、毎日、隣家のお姉さんとだったり、自分一人だったり、同じボールを持って、私は忠実に山羊の乳を取りに行っていました。



うちでは、事実上、山羊の乳を飲むのは私だけです。母はたまに一口、それもたぶん私を“自分は変わってるのかな”と感じないように配慮していると思います。


姐と父は無情です、「沸かしたら早く飲んでね、匂う匂う」。


ある日、母が私に「この頃の山羊の乳はなんか薄くなってない?水を入れたのかしら、近所の農家よくそうするらしいよ、あなたが子供だとみて余計に。だから今度行く時、聞いてみてね」



ボールを持って農家に向います。聞いてみてって、どうやって聞いたらいいのか私は困りました。まさか「水混ぜてないか」と聞くわけにはいかないですしね。


ギーッ、ぼさぼさ頭を覗かせて、「あ、ちょっと待ってね」と私の手からボールを奪うように取って、また中に引込んでしまいました。



どうしよう、どういうふうに聞いたらいいでしょう。困って困って、緊張して緊張して、なかなか落ち着くことできません。



ぼさぼさ頭は「はい、お待たせ」とボールを私の前に差し伸べます。


「あの」
「はい?」
「あの」
「なに? なんですか?」
「あ、山羊は、元気ですか」
「はあ?ふふふふ」と女性は笑って引込みました。



台所にいる母に、「水、混ぜてなんかいないって、山羊だってその時の体調があるって」
「そう、そうだね」。



うん、私は本当にそう確信しました。
山羊だってその時の体調があるし、ぼさぼさ頭は笑えるんだから、いい人だし、水を混ぜることなんかしませんよ、山羊にも優しいよ、きっと。


その日、お椀の中の山羊の乳を見つめていると、白い液体のふちは、確かに青いのでした。
まあ、山羊だって、その時の体調があるから。