果報は寝て待て

この頃のふみは、また“うんち”モードのスイッチ入り状態。
と言っているのは、“うんち”という言葉の話しなんだ。

どんな内容の会話でも、そのスイッチ入りの状態だと、一々“うんち”と付ける。
こっちはあきれて言葉もないが、言っている本人はこれ以上楽しいことがないような感じでゲラゲラ笑う。
よく飽きないな。


男の子って、本当にバカね。
同じ年齢の女の子たちは、すでに醒めている目でこの世を観ている。たまに嫉妬心と意地悪を働かせて(こういう意味で私はどうも女子に苦手なところ大いにある、自分も女子でありながら)、“うんち”など口にするだけで大喜びの男の子と雲泥の差。



「ふみ、今日のお昼はなんだった?」
「ごはん、オムライス、はははは、うんち」



「ふみ、そのトラック格好いいね、なにを運んでるの?」
「自転車や、バイクや、うんちや、はははは」


話ならないや。



夜、ふみ、またおじしゃんになりきっているのを見て、
「ね、ね、おじさん、話があるんだけど、聞いてくれる?」
「おっ、いいよ」
「私、息子がいるんだけど、三歳。」
「お、ショベルカー好きかい?」
「好き。でも今日の話はショベルカーと関係ない、聞いてくれる?」
「いいよ。ショベルカーは…」
「ショベルカーと関係ないってば。聞かないなら違うおじさんと話すわ」
「…」
「聞く?私の三歳の息子は、いつもうんちうんちと言うの、困ってしまってしょうがないの。どうしたらいい?」
「お、待ってればいいよ」

?!
たまたまかもしれないが、や〜なるほどって思った。
待ってればいい、そうね。
たくさんのことは、時期がこないとどうしようもない、根性よく待つしかない、でしょうね。なんだか考えさせられた気がして。


ちなみに、「どれぐらい待てばいいの?」の質問に対しての答えは、
「う…ん、30分」

(^o^)/
もちろん、30分後、3時間後も、楽しそうに“うんち”連発のふみであった。