手話

手話を習っている知人から、自己紹介など簡単な手話を覚えました。

手話には、以前から憧れのような気持ちはありました。


言葉の不自由なお二人が、喫茶店に座り、手話で静かに語り、時には爆笑のような表情、時には悲しそう。
周りの存在はなくなって、音なしですけど、言葉じゃ表しきれない世界がそこにあって、思わず見入ってしまいました。
美しいなって思いました。



こう知人に伝えていた時、傍で聞いているもう一人の知人が、
「なにを言ってるのよあなた、しゃべれない人は苦しいよ、美しいって、ちっ」、彼は舌打ちをしました。
よほど腹が立ちましたんでしょうね。


不謹慎だったのでしょうかね、私は。
けど、これは私の当時の率直な気持ちで、だたそれを率直に伝えただけです。



しゃべれない人は苦しい、そうでしょうか。
これはあくまでも所謂健常な人の考えではないでしょうか。


勝手に相手のことが不憫だと思い込みがちの健常の人が多いでしょうね、相手が不憫だと思った時、自分はもう一段高いところに立ってるつもりになってるのでしょう。無意識でしょうけど。



よくないよくない。
人がたいへんだなと思った時には、手を差し伸べるべきですけど、相手を不憫だと思うと、失礼だと思います。
手を差し伸べる、だけそれだけでいいんです。



手話、美しいわ。
だたそれだけなんです。