神様は…
昨日から、ふみは耐震工事が終了した新しいピカピカの保育園に戻りました。
これで一年近くの仮園舎生活はもう終わりました。
迎えに行く時、ふみはお庭の奥の砂場で遊んでました。
私を見かけて、「ママ〜」と、両手いっぱいの砂を握って走ってきて、途中気がついたみたいで、砂を適当に手放ししました。
人工芝なのに、砂を放り出さないでよふみ。
「ふみ、新しい保育園いい?」
「うん!明日もここに来ようね」とふみはイキイキでした。
もちろん明日も、おそらく来年もね。
「ママ、ふみちゃん大好き?」
「もちろん大好きよ」
「もちろんはなに?」
「当たり前、言うこともない、という意味よ」
ーーこれは最近ふみの好きな会話です。
よくこの同じ質問を聞いてくるのです。私はいつも同じ口調で答えます、もちろん。
ふみは保育園で遊ぶのが優先になってトイレを我慢してみたいで、おしっこを漏らしたのです。(うちでは、定期的に強制的にトイレに行かせているけど)
私はふみに怒りました。
何回も注意したことなのに、どうして聞かないの?(オトナの言うことを聞かないのが子供だから、はい、わかっています)
…
ぼーっとしているふみは、
「ママ、うん…、うん…、うちはふみ一人だし、うん…、うちは三人だけだし、うん…」
ふみは何を言っているのか、よくわからない、けど、なにを言おうとしているのか、わかる気がしました。
なんだか涙が出てきました。
「ふみごめんね。ふみママを助けてね、守ってね。」怒る自分がイヤです。とても。
ふみは私に抱きついて、「うん、わかった」と言いました。力強く。
ふみを信じよう、と思いました。
この前、いたずらをしているふみに対して、怒りたくなりました。
けど、いつも同じことを、もう口にしたくないです。疲れたというか。
けど、言わないとダメです、ふみはエスカレートになりますから。
「神様、私に怒らない力を下さい、下さいませんか、お願いします、助けて下さい」と、私は呟きました。
それを聞いたふみが立ち上がって、「神様は助けてくれないよ」ときっぱりと言ったのです。
「どうして?」
「だってしゃ、神様は、もう力ないから」
??どこからの自信でこんなにきっぱりと言えるのかね。(@_@;)
おかげで怒ることを忘れたわ。
昨日、食事の時、知人との会話の中にふみのことを言及して、私は、
親として、ふみの面倒をしっかりと見る、人間社会に生きていくためのマナーと常識を教えるし身につけさせる、あとのは、親ながら、見守る。それしかないです。
子供を育てていて、子供は親の意識によってどうにかなるものではないこと、すでに認識させられた気がします。
子供は、やりたいことをやらせるべき、親が勝手に子供の人生設計をしてはならぬことを思うようになっています。
ふみの夢、ショベルカーの運転手になることのように、私はそれは立派な夢だと思います。
ふみにその才能があれば、それになによりふみがそれを好きであれば。
幸い主人も同じ考えのようでなによりです。
ふみは将来にこうして欲しい、こうなって欲しい、というのは、すでに諦めている気がします。
子供はかわいい、とてもかわいいのだが私の私有物ではないこと、常に覚えておきたいのです。
「でもふみ君まだ3歳なのに、親もうこんな認識あるのは、ふみ君幸せですね。僕はそうじゃなかった、でもまあ、それで僕はガマンということを覚えたけどね、ははは」、知人は言いました。
私の小さい時の夢は、それはあり過ぎで覚えていないほどでした。
洋服作る工場で働きたいというのを覚えてます。心から憧れていました。
「ああ〜どうしようもないなら海外にでも行こうかな」との生意気な夢語りに、オトナたちの爆笑を誘ったのも覚えてます。当時はよほどのお国の“人材”じゃないと出国ができない時代でした。
今日は保育園の定期の身体測定でした。
ふみは、先月の測定の時より、身長が1センチほど伸びていて、体重は少し減ったんです。(秘訣を教えてぇ〜)
秘訣は明らかでございます、ふみは、一刻も休まず動いてます。そろそろ逆立ちできるんじゃないか、という体勢を最近はしばしば見かけます。
「あぶないから、ふみ」と私はそのたびに言っております。