雨、珈琲店

冬に逆戻りのような寒さ。
朝一時晴れ間も覗いて、天気予報士は慌てて、雨は9時からではなく、午後からと予報を言い直した。


けどイタズラな雨は、午前の10時少し過ぎに降って来た。
悔しくてカーテンを閉める予報士が目に見えるわ。


大陸生まれのわたしは、天気予報はほとんど当たるもんだと思ってた。
けど海に囲まれている国は天気が変わりやすく、どういう風の吹きまわしか、空は簡単に約束をやぶるようだ。


そもそも×時〜×時の降水率が×%だと予報しようという無茶なことやるのが間違いなんじゃないかな。
便利過ぎて、人間の頭はバカになっちゃいますよぉ〜
(自分も時間帯の降水率が気になる一人だけどね。)



今日はお休み。
やらなきゃならないたまった雑用で昼近くまで時間かかってしまった。
それから、やっと自分の時間になった。
冷たい雨の中、大通りに面した珈琲店に入った。

久しぶりだわ〜ここに入るのが。

去年のこの時期は、ほぼ毎日ここに来て、コーヒー一杯を頼み、この席で、書いた文章を直しながら、一生懸命原稿用紙に写していた。


疲れて顔を上げると、横断歩道がちょうど目に入る。
なぜか雨の日が多かった。たまに雪の日も。
すると横断歩道で傘がいろんな花を咲かせてくれる。


傘の下の顔もさまざまで実におもしろい。

雨であろうが雪であろうが、ステキな微笑みを光らせる人もいれば、
顔中に、「んったく、なんていうことをしてくれるんだ、早く上がれよ!」と描いてる人もいる。
雨が降っていることすら気付かないほどボーっとして、ただ機械的に足を移動するだけの人は、何かショックを受けたばかりでしょうか。
わくわくの表情で、何かのセリフを練習している人は、これから憧れの人に会いに行くのかしら。赤く染めたほほは、この雨に感謝しているよ。昂った気持ちを落ち着かせてくれるから。


店内はよくサックスの曲が流れる。
たまに歌も。
男性のちょっと枯れかかった声でラテン語で激しく告げたり、また低く囁いたり。
壁に飾ってる白黒の写真は、スペインの街風景。
ヨーロッパだろうけど、わたしはあれはスペインだと思う。
うん。理由はないけど。


ほろ苦いコーヒー。
コーヒーはよく飲むが、私はコーヒー好きとは呼べないや。コーヒーへのこだわりはないからだ。

コーヒーは、砂糖もミルクも入れず、やや薄けりゃいい。
という訳でインスタントでも全然よい。むしろインスタントがいい、加減をコントロールしやすいから。


しかしわたしはまだ何かに対して、何かコダワリがあるのだろうか。

血液型がOだから、世間でいう0型のいい加減で大ざっぱってことかしら。


考えて見れば、10代からは、もう成り行きに任せるという人生観がほぼ定着したのかもしれない。

「人間はしょせん定められた軌道に沿って走るに過ぎないのよ」
「ちがぁう!!努力は大事だよ。努力すれば何かが変わるよ必ず!」
「そうよ。その通りよ。だけどその努力することも実は定められたもの。努力する人間、そうできない人間、一見本人の意識に見えるけど、実際それも最初から定められたものなのよ」
……
10代の時、友人とこのような論争をした記憶があるわ。


自分の力ではどうしようもない現実を見過ぎかな。
たとえば父母の翻弄された人生だとか。 とか。 とか。


かと言って自分は暗い人間ではないと思う。
それに暗い人間は大の苦手。暗い方はわたしには敬遠の対象になる。


定められた軌道で、無駄な努力せず、与えられた勤めを務めればいい、と思うな。

定めを無視するとか、認めたくないとかすると、苦しみが生じ、暗くなったり、病んだりするんじゃないかな。




「ママ、なんで雨が降るの?」とふみはよくこう問う。
「雨が降りたくなったのよ。また気が変わって上がるわよ」

そういうこと。
と言っている間、ほら、そと、雨上がったよ。