お財布
コインを入れると、「恭喜発財」などいっぱい縁起のよい言葉をしゃべります。
これで、もし500円玉ばかり貯めたら、結構な金額になりそう。
「Sちゃん、ひまわり組に行けばいいのに、だって大きいんだもん。ずるい」
午前、ふみはまだ昨日のことを思い出してるようで、どれだけくやしいのか。
ふみは、負けた原因が、自分の練習不足や、先生の言うことをちゃんと聞いてない、先生の動きを全然見てないからだと、まだわかってないんだ。
ふみは幼いからかしらね。Sちゃんは、先生の動きをじーっと見ていたよ。だから要領よく進歩が速いのよ。
ふみと新宿郵便局へ向かってお出かけ。そこは土日もやっているのだから。
用が済んで、デパートに入り、昼食のお蕎麦を食べ、ふみの雨靴を買いに。
久しぶりにふみの足のサイズを計ってもらったら、案の定また伸びた。今は18センチのを履かないとだめだと店員さんに教えてもらった。
寒さのピークも過ぎたようで、来週から少しずつ春らしくなってくるので、ふみも冬用の靴ではなく、スニーカーを履かないと。
すると今のスニーカーみんな小さくなってるね。
雨靴・レインコート、スニーカー二足、薄めの靴下3足を選んで、
支払いしようとした時、財布が、ない。
さっき上の蕎麦屋で食べたあと、確かにちゃんと財布を取り出して支払ったよ。
なのに今は、ない。
ちょっと待ってちょっと待って、蕎麦屋から出て、休憩場に行って、乱れたバッグの中身を整理しようと、椅子に座って、一旦中身を全部取り出したね。
レシートなど要らないものを丸めて、必要なものをまた中に入れた…、が、財布はそのまま椅子に…
信じられない。財布を無くすなんて、わたしは初めてじゃないのかしら。
姉からよく、財布がなくなった、家の鍵がなくなった、スーツケースの鍵をなくした、携帯がなくなったなど聞くけど、そのたびに、意味がわからないと言うか、理解しがたい感じでした。
財布をなくすことなんぞ、わたし、一回もないですもの。
「ふみ、財布、ないよ」
「え?どうしたの?」
「だから財布をなくした、信じられない、どうしよう。頭真っ白だわ」
現金は大して入ってないが、保険証から、銀行カードから、クレジットカードなど全部入ってる、なくしたら相当ややこしくなるわ。
まず休憩場に戻ることにした。
「ママごめんね、ふみのせい?」とふみはわたしの顔を覗き込む。
正直それはちょっとある。ふみがそばでずっと「玩具売り場に遊びに行きたい」「上に金魚を見に行く」と、ずっとせかされて、せかされるのは一番苦手のわたしは、そういう時よく頭が混乱してしまう。
まあ、言い訳になってしまうでしょうけど。
でもふみに先に謝られると、返って責めにくくなった。でないと誰かのせいにしたいよ、わたしの悪いくせ。
「ふみは悪くないよ、全部ママが悪い、ふみは関係ないから。ありがとうね」
「でもママ、大丈夫よ。戻ってくるよ。ママ、もう、そんな顔しないで」
いつもプラス思考のふみは、こういう時ほんとうに助かるわ。
「ふみ、ありがとうね。ママが悪いよ、ほんとうに何を考えてるかな、バカね」
「だいじょうぶだいじょうぶ、ママも悪くない、だから財布は戻ってくるから、ぼく、お願いしてあげるから」
休憩場に行って、さっきの椅子は、もうお年寄りが座ってた。
近くの中華屋さんに行って聞いたら、無いと。店員さんはとても同情した表情を見せて、2階の遺失物カウンターに行って見ることを勧めた。
ぼーっとしてエレベーターに乗って、ふみはずっと何かを言ってる、慰めの言葉みたい。
だけど、よく耳に入らないや。
「財布を無くすなんて、初めてだよ、ほんとうよふみ、初めて。信じられない、意味がわからない…」
遺失物カウンター、財布は届いてない。
はははは、なぜかわたしは笑った。ふみは急に厳しい顔して、
「笑ってる場合じゃない」とわたしに。
ほかの何かのサービスを頼むお客さんがいて、ふみの言葉で声をだして笑った。
「そうだね、ごめんなさい。でも、なんだかおかしくて、はははは」
遺失物センターの責任者の初老の男性は、やっぱり同情の顔をしてわたしを見てた。
ショックで頭がおかしくなったと思ったのかしら。
いいえいいえ、ただほんとうに可笑しくて…。
責任者の男性は、わたしたちのこれまでの足取りを詳しく訊ね、
蕎麦屋や、休憩場の周辺の店に、一軒一軒電話することにした。
するとなんと、休憩場の近くの和食屋さんに、わたしの財布らしき財布があったという!
色や模様を電話で確認し、名前を聞かれ、中の名前を確認できるものを見てもいいですか?と聞かれ、
どうぞどうぞ、
名前はあってた、わたくしの財布です!
センターの責任者は、自分のことのように喜んでくれて、
「でも、中身は全部残ってるかどうかはわからないからね。この前も同じようなことがあって、戻ってきたのは、もう全部取られたあとで。…、お客さんの場合は、こんな短い間なので、大丈夫だと思うんですけど、半日以上とかなら、もうクレジットカードが不正コピーの可能性も…」
なるほどね。
和食屋さんの店員さんが来て、
「財布は、うちの店長が見かけて、椅子の上にありました。すぐこちらに届けるべきだったんですが、なにしろちょうどお昼の時間で、店がとっても混んでいて、どうしても抜けられなくて、本当にすみません」
とんでもないです、とんでもないです。
「店長、つまりうちの職員が直接発見して、誰かの手によってじゃないので、ほんとうによかったです。届けた人に対するお礼も要らないです、でないと、現金かなにかのお礼をしないとダメになるので…」
や〜〜〜、うそのように財布はそのまま戻ってきたぁ〜
大人たちのやりとりをずっと聞いていたふみは、二人きりになった時に、
「和食の店長さんが拾ったの?ふみがお願いしたから?あ、わかった、あの店長さんが神様だったんだ」と言った。
「そうね、ある意味で神様だわ」
婦人バッグ売り場を通る時、セールだった。
「あ、ふみ、バッグ買うわ、買わないと」
「ご褒美に?」
「うん。あれ?なんのご褒美?ご褒美じゃないよ」
「財布が戻ってきたご褒美」
「ご褒美とは言えないよ、慰め?記念?警鐘?とにかく、バッグ買う」
ベージュ色のシンプルなバッグを買った。
お支払いの時、ふみはいつの間にかカウンターの上まで登ってきて(ふみ最近このくせがある、素早い)、女性店員さんに、
「ね、ママはさっき財布をなくしたんだよ」
(+o+)、別に宣伝しなくたって…。
仕方なく、目を丸くした店員さんに事情を説明して、
「あら〜、運がいいわね。最近財布とかなくしても、もう無くしっぱなしなのよ、もうそんな世の中になってますもん。本当によかったね」
「うん。あのね、和食の店長さんが拾ったって」とふみが。
いいからいいから。
「あ、そうだ、」ふみは正坐したままカウンターの上からわたしに、「パパにも言わないと」
いいからいいから、それより早く降りなさい、お行儀わるい。
また子供服売り場に戻り、さっきの支払いを済ませ、なんだかくたびれて来たわ。
ほんとうに今になって腰抜けた感じ。
頑張って地下鉄に乗って帰ってきて、駅前の喫茶店に入った。
ホットコーヒーを飲んで、さらにくたびれてきた。
「枕借りてここで寝たいほど」
「ダメだよ、ちゃんと帰りなさい」、ふみは元気そのもの。
「ふみ、さっきありがとうね。ふみは頼もしいわ。助かる助かる」
「うん。ぼく、だいじょうぶだって言ったでしょう」
「でもふみ、本当にママのことを心配してた?」
「したよ」
「そう、でもふみは楽しそうに見えたけど」
この言葉を聞いたふみは、急になぜかとっても嬉しそうになって、一々お尻を椅子から浮かべて、「え?!ほんとう?ぼく、楽しそうだった。ほんとう?楽しそうに見えた?ほんとう?」
「なに喜んでる。図星だな」
その後、ふみは何回も、「ママ、ぼく、楽しそうに見えたの?」と聞いてくる。
なんなのよ。